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映画で感じる! ものづくり

© 2009 カジマビジョン
vol.2 超高層のあけぼの
  • 監督:関川秀雄
  • 製作年:1969年
  • 製作国:日本
  • 発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント
  • 価格:DVD版(4,700円+税)
※価格等は公開時点での情報です。

日本初の超高層ビルを作れ!
今に続く東京の都市開発は
ここから始まった!

STORY

大正12年、当時学生であった古川は、関東大震災に遭遇。震災で多くの建物が倒壊する中、堂々と建ち続ける上野の寛永寺の五重塔に感銘を受け、耐震技術の研究に没頭する。それから40年、東大工学部の教授、耐震技術の世界的権威となった古川はその退官記念講演で、東京の都市問題を解決するために超高層ビルの建設の必要性を訴えていた。そんな古川のもとに、鹿島建設の会長が面会にやってくる。超高層ビルを共に作りたい、そのために鹿島建設の副社長に招きたいというのだ。こうして、日本初の超高層ビル「霞が関ビル」の設計と建設が始まった。

豪華キャストで作られた日本が誇る記録映画

1968年4月に完成した、日本初の超高層ビル、霞が関ビル(地上36階、147m)。その企画、設計から完成に至るまでの記録映画である。映画興行収入3.6億円を記録した2時間40分の超大作映画である。
キャストも製作スタッフも豪華だ。戦後を代表する二枚目の池部良、黒澤映画の常連であった木村功、丹波哲郎に佐久間良子など当時のスターばかりだ。監督は「きけ、わだつみの声」の関川秀雄、原作は「用心棒」「椿三十郎」など多くの黒澤作品の脚本を手掛けた菊島隆三である。そして、音楽は「ゴジラ」の巨匠・伊福部明。なんとも贅沢な布陣の映画である。

中央が江尻所長(池部良)
© 2009 カジマビジョン

日本最初の超高層ビル ~霞が関ビル~

霞が関ビルの計画が始まった1964年当時、地上31m以上の建造物は法律上許されていなかった(百尺規制)。今でも地方都市などへ行くと、高さ31mのビルが道沿いに続いて並んでいる風景を目にするが、これは当時の規制の名残である。
1964年の東京オリンピック前に建設基準法が見直され、一部の特定街区においてこの高さ制限が廃止され、容積率制限が導入される。そして特定街区第一号とされた霞が関に建設されたのが霞が関ビルである。
建物の高さの上限が31mだった東京に、その約5倍の高さのビルが建ったわけだ。当時、東京タワーはすでにあり、日本一高い建造物だったが、霞が関ビルは東京タワーの半分弱の高さだから、やはり、この建物が建った当時、東京の風景が一変したのは間違いないだろう。

© 2009 カジマビジョン

冒頭、超高層ビルの必要性を話す東大教授の古川は、1963年にその職を退官し、鹿島建設に副社長として招かれた武藤清教授がモデルである。武藤教授は、関東大震災の経験と、五重塔の耐震性の研究から、超高層ビルの耐震構造として柔構造が適していることを見つけた。
柔構造とは、建物に働く地震の力を吸収することで倒壊を防ぐ構造である。この柔構造技術の採用がなければ霞が関ビルは建たなかったに違いない。霞が関ビルだけでなく、その後に建設された、世界貿易センタービル(1970年竣工、152m)、サンシャイン60(1978年竣工、240m)なども武藤教授の研究した柔構造により建設されたビルである。
その後、1970年には、高さ制限の廃止、容積率制限が全面導入されたことで、日本の都市部が超高層ビル時代を迎えることになる。
霞が関ビルができてからすでに約50年。今では、東京のあちこちに超高層ビルが立ち並ぶ。新宿の副都心、大手町、丸の内、汐留、赤坂、六本木。これらのビルは東京タワー、東京スカイツリー、そして夕日に染まる富士山と共に、大都市東京の風景を成している。
劇中、池部良演じる江尻所長が言う。「何年か先になると、これくらいの超高層ビルが東京の空を覆うことになるんでしょうな。」まさしく、霞が関ビルは、現在の大都市東京の都市開発の先駆けとして完成したビル、「超高層のあけぼの」だったのだ。

© 2009 カジマビジョン

大変なことを考えてくれたな。
いや、幸先がいいぞ!

By江尻所長(池部良)

50年の時を経て、再び進む東京再開発

現在、東京では2020年の東京オリンピックに向け、再び超高層ビルの建設が相次いで進む。東京駅前の大手町二丁目常盤橋には、2027年に完成すれば世界一となる高さ390mの超高層複合ビルが建つ。同エリアには高さ160m以上のホテル、オフィスビルが2025年までに続々竣工し、また、日本橋、京橋、赤坂、六本木でも同様に、再開発で超高層ビルが次々と誕生する。この先10年の間、大都市東京の風景は絶えず変わり続けるだろう。
劇中、木村功演じる佐伯構造設計課長が古川副社長にこういう。

「こうやって、毎日、鉄骨が少しずつ伸び上がっていくのをじっと見ていると、色々考えますね。東京は将来どうなるか。ビルを上に伸ばして、その分だけ地上に田園、空き地を残す、木を植えて太陽と緑を取り戻す。機械文明の中から人間を回復する。なんとかそうありたいですね。」

古川が答える。

「それが、以前からの私の夢だ。それはもうヒロシ君(佐伯の息子)の時代だ。ヒロシ君はそういうバトンをお父さんから受け継ぐんだな。」

東京の都市開発で超高層ビルが必要だと訴えた古川教授が描いていた夢は、高度経済成長で押しつぶされそうな時代の東京を、人間の住みやすい都市に作り直したい、ということだった。
現在、再び進む東京の都市開発。超高層化と同時に、敷地には緑地、屋上庭園、水景施設、緑の遊歩道などが整備される計画である。霞が関ビルの完成から50年たとうとしている現在、古川がこの映画で語ったこの都市開発の夢を、我々は引き継いでいる。
私がこの映画で好きなのは、この木村功演じる佐伯構造設計課長だ。劇中、H字鋼の技術に関して画期的な構造設計を思いつく。これを聞いた江尻所長が答える。

「大変なことを考えてくれたな。いや、幸先がいいぞ!」

私は、こういう若手の優秀なエンジニアが、画期的な発想で問題を解決する一言を口にするシーンが好きなようである。
日本技術映画社によって記録映画として作られた本作は、技術面での描写や説明も正確かつ詳しい。派手なドラマばかりが強調されがちな、よくある実録ものとは違い、この映画の登場人物は、胸に熱い情熱を秘めながらも、常に淡々と開発課題に立ち向かっていく。「俺は霞が関ビルを必ず作ってやる!」なんて、普通は言いそうにもない台詞を熱弁する人などいない。夜中に一人、机に向かい計算尺を使いながら黙々と設計をする技術者の姿がかっこよいのだ。
本作には、派手な展開は全くない。だが、この映画はすべての日本人、そして技術者たちのための超大作記録映画である。霞が関ビルの完成から半世紀、時代は再び東京オリンピックを迎えようとしている。東京の姿が大きく変わろうとしているこの時代に、本作を一度鑑賞してみることをお勧めしたい。

© 2009 カジマビジョン

※本ページに掲載の写真はNBCユニバーサル・エンターテイメントへの許諾を得た上で使用しています。

PROFILE

星ワタル
1984年10月東京生まれ。アメリカ、テキサス大学アーリントン校、航空宇宙工学科卒業。カナダのトロント大学航空宇宙研究所で修士号を取得。卒業後電機メーカーに入社し、現在まで宇宙機、人工衛星の設計開発に携わっている。専門は姿勢軌道制御、制御工学。学会論文も複数発表。趣味は映画鑑賞。また、東京都調布市を中心に活躍する劇団「劇団真怪魚」に所属し、舞台、演劇、映画を学んでいる。

記事公開:2017年2月