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畠山美由紀

歌手

1972年宮城県気仙沼生まれ。4歳から歌いはじめ、20歳過ぎから作詞・作曲を行う。
男女ユニット"Port of Notes"や10人編成のダンスホール楽団"Double Famous"のヴォーカリストとして活躍するなか、'01年9月12日シングル「輝く月が照らす夜」でソロ・デビュー。唯一無二の透明感溢れる歌声と圧倒的な存在感は、音楽シーンのなかで確固たる地位を築いている。
Amazon【たすけあおうNIPPON 東日本大震災義援金】に参加。

ライブスケジュール

9月3日(土)
京都府庁旧本館正庁コンサート
with 京都こだわりマルシェ
@京都府庁旧本館正庁(重要文化財)

9月11日(日)
ふたりのルーツ・ショー
アン・サリー、畠山美由紀@東京/日経ホール

畠山美由紀オフィシャルサイト
http://hatakeyamamiyuki.com

遠くのものに憧れる、そんな気質が気仙沼にはあるのかもしれません。

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─ ふるさとの写真を見せてほしいとお願いしました。この写真は気仙沼の港?

そう。弟と一緒に、母親の車の前で。こんなに海の近くに住んでいるのに、なんとなく、みんな海へとドライブしに行くんです。だから、このときも岸壁のほうに行ってみようかって感じだったんじゃないかな。左端に、ちょっとだけ唐桑半島が見えていますね。

ここは今回の津波で壊滅的だったところ。この写真を撮ったとき、私が小学生だったころはサンマ漁やマグロ漁の全盛期のあとくらいで、港にも町にもものすごい活気がありました。ご存じのように、気仙沼って「陸の孤島」って呼ばれているくらい電車や車などの交通の便が悪いけど、海からはたくさんの人がやってくるんです。気仙沼にジャズ喫茶が多いのも、遠くのものに思いをはせる土地柄だからという理由もある気がします。だからこそ、私もジャズが好きになりました。

─ これは普通のサービス版じゃなくて、ちょっと大きなサイズで焼いた写真ですね。特別な写真だった?

実は、この写真を撮ってもらったときのことは覚えていないんです。弟が正装しているから、おそらく七五三のお祝いのときだと思うのだけど……。昨年11月と今年1月、横須賀に住む私の祖父母があいついで亡くなってしまったのですが、この写真は祖父母の遺品からでてきたものなんです。私の母親が写真を引き伸ばして祖父母にあげていたんでしょうね。私たち兄弟の写真や、おじいちゃん、おばあちゃんが若いころの写真がアルバムや、袋に入った状態で、どっさりでてきたんです。

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おばあちゃんが若いときの写真を見てたら、こんなにかわいい娘だったんだって泣けてきちゃった。

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─ 見たことがない写真もたくさんあったんでしょうね。自分の知らないおじいちゃん、おばあちゃんの姿とか。

おばあちゃんが20代のころの写真もでてきたんだけど、なんだか泣けてきちゃった。おばあちゃん、こんなにかわいい娘だったんだなぁって。おじいちゃんの写真も、昔の日本人らしいりりしさがあって、こういう人、もう今じゃ見かけないなぁって思った。うちのおじいちゃんとおばあちゃん、満州で知り合ったんです。それはなんとなく知っていたんだけど、納骨式終わって母親から聞いて驚いたのは、戦後に日本に戻ってきて、ふたりでクラブをやっていたということ。しかも、ゲイバーだったんですって!(笑) そんなことは、今まで全然知らなかったからほんとビックリです。私が、高校卒業して横須賀で一緒に住んでいたときは、夜の町に出て行くのをふたりともすごく嫌がった。おばあちゃんなんか、ものすごい勢いで怒って。自分がやっていてそういう世界を知っていたからこそ、怒ったんでしょうね。こうしておとなになって事情がわかると、当時のことが改めて理解できる気がします。

─ 人が亡くなってしまうのは寂しいことだけど、写真を見ることで、思い出がちゃんとよみがえる。

本当、写真があるからこそですよね。このときのおばあちゃんは、今の自分より年齢的には年下。おばあちゃんはいったいどういうことを考えて、感じていたのだろうという疑問もふと浮かびます。もちろん、このときは自分の人生がどうなるかなんてわかならいし、私が未来に存在することも知りません。でも、これを見ている私は、おばあちゃんがだいたいどんな人生を送るのかを知っているんです。こういう時間のなかを行き来する感じって、なんかね、不思議ですね。
こうしておばあちゃんの写真を見ているうちに、人の一生というものに関しての啓示を受けたくらい驚いてしまったんです。だって、若いころのおばあちゃんの姿って、自分の目では絶対に見ることができないものでしょ? こんな娘っ子だったおばあちゃんなんて、私は知らない。このときのおばあちゃんには夢があったかもしれないし、恋もしていたかもしれない。私はそんなおばあちゃんの当時を知るよしもないけど、こうしてちゃんと受け継いでいます。そして、おそらく未来へも受け継がれていくんですよね。

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感動するくらい美しい風景を見たら、私は歌手だから、それを歌に託すしかないんです。

─ 畠山さんの作る歌は、「遠い灯、遠い場所」、Port of Notesの「僕の見た昨日」など、ふるさとの美しい風景を織り込んだものが印象的です。まるで風景が見えてくるかのような。

ふるさとできれいな風景に出会うと、自分の目がカメラで、このままみんなに見せてあげたいっていつも思うの。きれいといったって、同じ緑でもいくつもの種類の緑があるから、その違いまで伝わるといいのにと思うんです。やっぱり自然の美しさのインパクトが強いんでしょうね。東北の自然って、関東とは違う独特な美しさがあるんです。それも年々変わっていってしまうのだけど、人の利害とは関係のないところに、手なずけられていない自然がまだかろうじて残っている。それは本当、恐いくらいで、『遠野物語』なんかの昔話にもつうじるような、行ってはいけない、見てはいけないのだけど、どうしても惹かれてしまう不思議さと神秘性があるんです。

でも、そういうのを感じるときにかぎって、ひとりなんです。みんなに見てもらいたいと思うのにひとり。逆に、ひとりじゃないと気づけないのかもしれないですね。ひとりでいるからこそ、そうした感じをキャッチする確率も高くなるのかな。それをこのまま見せてあげられたらいいけど、表現できたらいいけれど、そうはいかないのを、いつももどかしく思うんです。

それこそ、私が写真家だったら写真として風景を切り取ったり、画家だったら絵に描いたりするのでしょうが、私は歌手だから一所懸命、歌に託すしかない。曲を作るときは、この圧倒的な美しさすべてを表現できるとは思えないのだけど、歌わずにはいられないんです。このメロディで、この言葉だったら伝わるかなというのを、ずっとトライし続けて、繰り返し、歌っているんです。

─ 東日本大震災を経て、歌っていきたいものや活動の方向性に変化はありましたか?

ものすごく具体的に思ったことは、みんなで歌える曲が作られたらいいなぁということ。やさしくて、シンプルで、誰でも歌えるような曲。"うさぎ追いし…"ではじまる「ふるさと」の曲のように。
誰もがわかる、飾らない言葉で素直に綴っているのに、それぞれの原風景が見えてくる曲は、民謡とか演歌にも多いですよね。私もよく歌わせてもらっている「津軽のふるさと」は、高度経済成長期を支えた東北の出稼ぎの人の心を代弁している曲だと思うんです。かといって「津軽」という限定された土地だけじゃなくて、それぞれのふるさとへと導いてくれる間口の広さもある。 シンプルな歌にはいろいろな可能性があるのでしょう。だから、そういう曲を作って、みんなで一緒に歌えるようになれたらいいなぁと思っています。

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2011/4/20 取材・文 岡田カーヤ/構成 MONKEYWORKS
写真 藤堂正寛/Webデザイン 高木二郎

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