岸真理子-mainvisual

岸真理子・モリア

1977年渡仏。
パリにある日本の画廊で働きながら、現代のユトリロと評されるロベール・クートラスと出会い、晩年をともに過ごす。1985年に亡くなったクートラスの遺言により、カルト(手札大の紙片に描かれた絵画)のほか、テラコッタ、グアッシュなど、作品を管理することとなった。
2011年、クートラスの生涯を綴った『クートラスの思い出』(リトルモア)を刊行。現在、ピアニストの夫とともに、パリ郊外に住んでいる。


book

この振り向いたときの表情が、クートラスらしくて、本当に好きなんです。

pic

─ 今回、あげていただいた「一枚の写真」は、どういう写真でしょう?

私とクートラスが出会った1977年の夏の終わりのこと。クートラスが1週間だけ滞在するつもりで訪れたバカンス先で撮った写真です。シャトーシャロンというスイスとの国境沿いの場所でした。黄色いワインの産地で、ブドウ畑に覆われた丘にある、すごく気配のいい村なんです。全部石造りで、町は城壁で覆われていて、ロマネスク様式の古い教会があって。
クートラスが滞在したのは彫刻家の友人の家だったのですけど、石造りで建物だか岩山の一部かわからないくらい古い家。過去が現在のなかに入ってくる気配が気に入ったんです。神秘的なものや、その雰囲気を絵にしたいって言っていましたから、それをするにはうってつけの場所でした。創作意欲がかき立てられて、到着してすぐに、まるで昔から住んでいるみたいに作品がどんどんできた。だから、帰りたくなくなってしまったんです。夏が秋になって、人もいなくなって、だんだん紅葉もはじまって。結局、11月くらいまでそこにいました。

─ クートラスは、毎夜、自分のなかの深い闇と向かい合い、数十年もの間、カルトを描き続けたと聞いていたので、もっと暗く、重苦しい表情をしていると想像していたのですが……。実際、クートラスは、どんなかただったのですか?

なにしろ生きるのが大好き人でした。友だちも大勢いて、みんなで集まったら、冗談をたくさん言って誰よりも人を笑わせて。その人がいることで、場の雰囲気変わっておもしろくなる人っているじゃないですか。クートラスはそういうタイプの人。本当に一緒にいて楽しいんですよ。

彼は写真を撮るのが好きで自分でもよく撮影していましたが、彼がこっちを向いて写っているものはあまりないので貴重な写真です。この振り向いたときの表情がクートラスらしくて、本当に好きなんです。この目つき。いつもくわえタバコをして、ちょっとからかうような感じで、ジロってこちらを見て。写真なのだけど、彼の気配が感じられて、ここに"いる"っていう気がします。

top

毎夜、描き続けてきたカルトはクートラスそのもの。絵を描くことでしか、生きることができなかった。

pic

pic

─ 生きるのが好きで明るい人。だけど、闇も深かった。

想像がつかないほど暗い部分もありました。だから夜になると人が変わってしまって、夜明けまで絵を描いて、朝になると寝る。そうやって何カ月もこもってしまうこともありましたね。
お金のために絵を描くのがイヤな人でした。つまり、絵を描くということは、それほど彼にとって大事なこと。ギリギリのところ生きていないと、自分のものが書けない。アーティストとしてしか、生きることができなかったんです。

─ 真理子さんが書かれた本『クートラスの思い出』はものすごく映像的な感じがして、ふたりが出会う前、クートラスの子ども時代、青年時代に関しても、風景が鮮明に浮かび上がってくるようでした。もちろん、心の動きもみずみずしく伝わってきたし。この本はどのような経緯で書かれるようになったのですか?

最初は、クートラスがどこで生まれて、どうやって育ってきたかということを、1985年、彼が亡くなった直後、断片として書いていたんです。生前、クートラスが何度も私に語り聞かせてくれたフランス語で、聞こえてきたままに。
私はすごく責任を感じていたんです。あの当時、私はフランス語の本を読むのもすごく時間がかかっていました。どうして、彼はフランス人に自分作品を託さなかったんだろう(※)。クートラスは、生活に窮しても「本当に生きるため」に絵を描くことを選んだ人。そんな人の作品を、生前に苦しめられた画商に売るわけにもいかない。とにかく重かった。でも、作品を預かってしまったのだから、忠実に伝えないといけないと思い、1986年にパリのギャラリーで回顧展を開催したとき、彼が生涯で付き合ってきたすべての恋人と会ったり、生き別れてしまった母親の名前を調べたりして書き起こしました。今回の本は、そのときのフランス語で書いた断片をもとに、日本語で書き直したのです。

※クートラスは遺言で、3000枚近くのカルタのほか、油絵、グアッシュ、テラコッタなどの作品の管理を真理子さんに託した。

top

同じ風景を見て、感動できるかどうか。

pic

─ クートラスの半生記でありながら、彼が生きてきた時代の空気も伝わってくる。上質な一片の物語を読んでいるようでした。未来と過去の時間軸が入れ子になっているから、どこから読んでもいい。

時系列で並べたほうが読者のために良かったのかもと思うんですけど、そうすると、言葉がでなくなってしまったんです。というのは、自分のなかで、クートラスの存在って頭でとらえるものではなく、からだの一部のようなものなんですね。だから、彼の存在がわきあがってくるときって、足首からだったり、手首からだったり。思い出って、ヘンなところにたまっていたりするんですよね。

─ 思い出がわきあがるときは、どのように感じるものなのですか? 映像的に?

顔が見えると言ったら嘘なんですね。目では見てない、声も聞いてはいない。けれども、同じ感情、情感の質のようなものがやってくる。その情感そのものを言葉にしていたのでしょう。思い出って不思議なものなんだなって思います。だから、たとえば音楽をなさっているかたなら、もっと違った思い出しかたがあったのかとも思うのですが、私の場合、ちょっと手首を動かしただけでわきあがってきた。だから、わきあがるままの順番で書きました。時系列で書こうと思うと、どのように繋がっていたか、とたんにわからなくなってしまったので。

─ 作家、堀江敏幸さんは、クートラスの一部は真理子さんの作品でもあり、真理子さんご自身もクートラスの創作の一部をなしていたのではないかとおっしゃっています。真理子さんご自身は、ふたりはどのような関係だったと思っていますか?

クートラスって不思議で、私のこと娘というか、息子のように感じていたんじゃないかと思っているんです。だから私に、自分の好きな古い絵や映画を一生懸命に見せてくれました。当時、言葉は完璧に聞き取れなかったけど、彼の子ども時代はこういうところで、人々はこんな表情をしていたんだって、その雰囲気は伝わってきましたね。

思うんですけれども、人と人って、感動する風景が同じかどうかってすごく大事なことのような気がするんです。すごくきれいな景色を見たとき、感動をともにできるかどうかということが。

今でも、思い出す風景があるんです。クートラスとベルサイユの森を散歩していたときのこと。ザーザー降っていた雨がやんだと思ったら、私たちの頭上、木々の切れ間に太陽が差して、空に川のような光の帯ができたんです。その光の川に無数のシジュウカラが集まって、まるで水浴びをするように、歌いながら空間に浮かんでいるんです。私たちは、ただただ、あっけにとられ見ることしかできませんでした。そうしているうちに日が暮れて、あたりは暗くなって、なにも見えなくなってしまったのですが……。
このときのことを思い出すたび、半分夢を見ていたかのような気分になります。ああした風景ってふたりで見ることは可能なのかしら、それともふたりで見た白日夢だったのかしら、と。クートラスと私は、そんな風景をともに見てしまうような関係でした。不思議な繋がりなんです。

2011/11/22 取材・文 岡田カーヤ/構成 MONKEYWORKS
写真 藤堂正寛/Webデザイン 高木二郎

top
ここからフッターです