ー 今日も京都タワーの展望室は大繁盛してましたが、京都タワーのイメージも随分変わってきましたね。音楽ファンにとっては、くるりのジャケットから受けた影響もあると思います。
京都タワーって、東寺とか金閣寺、銀閣寺とは違うんですよ。世界遺産になってる観光地と比べると、要するにセレブじゃない。だけど、日常なんですね。そんな京都の地元感がジャケットに反映されたのも、くるりがきっちり地元に根ざしてそこから表現しようとしてるからで。そういうことが音楽にとって目に見えないけど、実は一番大切じゃないかと改めて気づかされた仕事でした。
ー MOTOKOさんはジャケットの仕事を大切にされてますね。
初めて見た写真メディアが何かといえば、写真集じゃなくてジャケットですから。私らが高校生の頃は、貸しレコード屋が出てくる前で、新しい音楽を聴くにはラジオしかなくて、それも自分の聴きたいような音楽はめったにかからない。じゃあ、どうしてたかって言うと、アルバムジャケットをじっと見つめて、頭の中で音を想像してたんですよ。
ー ジャケットから音を想像ですか!
当時はそういう人、多かったと思いますよ。今みたいに、気軽に好きなだけ音楽を聴ける環境は本当になかったから、ジャケットを見て想像するしかない。その想像力が決して妄想じゃなくて、それくらい音楽を響かせる役割が昔のジャケットにはあったと思います。
ー ただ、レコードからCDになって、ジャケットが持つオーラも薄れてきたように思います。
でもね、どこのレコード会社もものすごく情熱をかけて作られてましたよ。表現の違いはあっても、この音楽に対してどういう1枚の写真を撮るか、その真剣なエネルギーは強かったですね。ただ、だんだん売るためだけにパッケージのメソッドが生まれてきて、それがリスナーにバレてきたのかなと思います。
ー Jポップ全盛期には、とにかくレコーディングもジャケット撮影も海外でという風潮もありました。
90年代って、80年代に稼いだお金で憧れをかなえてた時代だと思っていて、空々しいところもあるんです。だから私は、沖縄の音楽がすごく正しいなと思うのは、その地元に対する向きあい方で。本当に自分たちの一番いい表現をしようと思ったときは、地元に根ざした地元のバイブレーションが一番いい音が出るんじゃないかな。くるりもそうですよね。ジャケットなどのビジュアルも含めて、きちんと自分のサイズで音楽にしているから。
ー 地元感覚ということでいえば、MOTOKOさんの写真集『京都』にも通じるものがあります。
あの写真集には観光地も少しは入ってるけど、ゴージャスな京都じゃなくて、東京からリュックサックひとつでやって来て、京都の町をただ歩きまわって、イノダコーヒに行って帰ってくるだけ、そういう旅の写真。今では、そういう京都の貧乏旅行もかなり当たり前になりましたけど。くるりとの出会いも、あの写真集の帯文を書いてもらったのがキッカケです。
ー そのくるりとのお仕事で、最初のベスト盤では学生街を中心に巡られてましたが、2回目のベスト盤(※今年6月発売)では、六道の辻、将軍塚といった、いわば異界のような場所が多かったですね。
いずれにしてもコンセプトは京都タワーを撮るってことだけでした。1回目はくるりの岸田さんが縁のある場所を地図に50カ所くらいあげてくれて。で、今度のアルバムでは京都タワーが見える場所で探した結果、なぜか鳥辺野近辺(※東山の南、かつての葬送の地)のちょっと怖い感じの場所が多くなった。でも、それは意味があることかなと。1回目が青春物語だとすれば、今回は京都のB面で、くるりファンにもそういう京都のB面を知ってほしかった。全部が青春だけやと、薄っぺらくなるからね。まあ、くるりも「百鬼夜行」や「はぐれメタル魔神斬り」(※いずれもくるり主催のライブイベントの名前)をやってるくらいやから、好きなんでしょうけど。
ー くるりの岸田さんからは、「すっきりと、だが色っぽく、眼に見えないものを写しだすMOTOKOさんの写真」というコメントが寄せられていました。
もちろん、見えないものは撮れないんですけど、想像力はすごく重要だと思ってます。「異界」と呼ばれる場所に行っても、実際に幽霊に会えるわけではないけど、たとえば殺伐とした感じを受けたとしたらその感覚に忠実に。そういう想像力を張り巡らせることってすごく豊かですよね。
ー その場の空気を撮るようなことでしょうか。
私もあまりわかりませんが、写真の中に余計なものが入らないように撮るってことないですか? 私も昔はそうでした。頭の中で構図が出来上がっているから、それと同じ画を撮ろうとしていた。たとえば町で撮っていて通行人のおばちゃんがいるとしたら、いなくなるまで待っていた。だけど、最近はそうじゃない。おばちゃんも含めてこの町の空気みたいなものができているわけだから、別に排除する必要はないと思うようになって、全然気にならなくなったんですね。要するに受け入れるってことで。
ー なるほど。
実は『幽』っていう階段専門誌の撮影をもう7年続けています。編集長の東雅夫さんらの話を聞きながら、「怪談巡礼団」として町を歩いてるんですけど、それはよい訓練になってますね。はじめはわからなかったんだけど、想像しながらとことん面白がることで、なんとなくそんな感じになっていく。
ー 見えないものはもちろん撮れないけど、そこでどういう想像力を働かせるか。
そう、架空の物語に本気のっかっていくことで、なぜかその物語がノンフィクションになっていく。だから、くるりのジャケットの話でいえば、京都タワーがつまらないって物語を作ることもできたけど、京都タワーってちょっとどんくさいけどええねんで、って物語を作ることで、今や実際の京都タワーもそういうものになりつつありますから。
ー それをまた京都タワーの中で展示するというのも面白いですね。
写真って「お札」なのかもしれないと思います。で、京都タワーは現代の神社。そこにお札を奉納させていただいたのが今回の展覧会だったと。ロウソクをモチーフにした京都タワーは、慰霊塔のようにも見えます。
ー 今回の展覧会はお札参りだったんですね。
「お札」は無尽蔵にいらないでしょ。服も音楽も食べ物も情報も、何でも自由にたくさん手に入れられる現代の世の中で、「たったひとつ」ということが見えなくなってしまったことが、かえって世界を不幸にしているのかもしれません。
取材・文 竹内厚(Re:S) 撮影 濱田英明(Re:S)
1966年、大阪府生まれ。1990年、大阪芸術大学美術学部卒業。1992から3年間渡英。1996年よりフォトグラファーとしてのキャリアをスタート。写真集に『Day Light』『First Time』『京都』など。ライター井上英樹氏とともに活動する「田園ドリームプロジェクト」がロハスデザイン大賞2010を受賞。ユーストリームにて「活動写真」を不定期に配信中。http://www.ustream.tv/channel/wwwwwh