ー 30年以上も前だと、写真年賀状もまだそこまで一般に普及していなかったんじゃないでしょうか?
父:カラーで印刷する人も少なかったですからね。
母:あの頃は写真屋さんに頼んで、作ってもらってましたから。
兄:オヤジ、先読みやな。なんで年賀状を写真にしようと思ったんやろ。
政志:写真がいいっていうのはオトンが言い出したことなんやろ。
母:お父さんが津市内の有名なところに2人(幸宏と政志の兄弟)を連れて行って、おばあさんに作ってもらった服や揃いの衣装を着せて、写真を撮って、それを年賀状にしてましたね。子どもの成長を見せるのと、この街のことを知らせるために撮りましたって一筆入れて。あとは毎年、毎年ずっと撮リ続けて。
父:こっち(三重県津市)に越してきて、政志が生まれたんです。私が九州長崎の出身で、お母さんが大阪。だから、年賀状の半分以上は県外に出してまして、写真を下手ながらも写して、必ずどこどこで撮影と書いてました。そしたら、「あっ、津ってええとこやな」って思うでしょ。子どもが大きくなったことを伝えるのもあるけど、半分は三重県をPRしたい気持ちで、私が三重県の生まれやったら、そんなことしてないはずですよ。
ー それで毎年、年賀状の背景が違うんですね。
母:津のお城跡とか、阿漕浦海岸とか。
父:年賀状というのは季節を感じるものだと思うんですよ。バックの風景があんまり青々としていてもおかしいし、だから、10月に入って20日頃までに撮影しようと。思い出すやろ? 2人に揃いの服を着せてな。
兄:そうやな、なかなか今はこんなにせんからな。自分も家族ができて年賀状を作るようになって、ようやくオヤジが僕らの写真をちゃんと選んでるのがわかりますね。
父:ふるさとは遠くにありて思うものって言いますけど、遠くになればなるほど、1年に1回実家に帰るかどうかでしょ。だから1年間の気持ちを年賀状で伝えるんですよ。政志は年賀状出してるのか。
政志:お兄ちゃんはちゃんと作っとるけど、俺は作ってない。
父:もらうばっかりで。
政志:今年は気合い入れて作らなあかんな。家のプリンターで出力するのはペラペラやから、あんまり好きちゃうねん。昔、写真屋に頼んでた頃とは写真の質感が全然違うやろ。
父:メールとか電話で終わらせない。ほんとこういう時代になってきたら、年賀状は絶対に復活しますよ。家族の絆、思い出と言いますか。メールじゃなくて、ずっと残していくという気持ちでね。山ガールじゃなしに、写真ガール。フィルムカメラも復活してるでしょ。
ー それにしても、今までに届いた年賀状を全部保存されてるんですね。
兄:オカンのことやから貯めてるやろうとは思ったけど。
母:出してきてみたら、10冊ではきかんかったね。この2年くらいのはまだ整理できてないんやけど。
父:お母さんはね、いつも旅行に行った時の切符も残して、旅館へ泊まったらその箸袋も持って帰ってきて、そういう思い出を全部整理してくれてるんです。最近の人はじゃまくさいと言いますけどね。
政志:これ、フジカラーの額なん? 知らんかったわ、こんなんもとってあるんや。
母:お母さんはなんでも捨てるのが嫌い。整理整頓するのが好きやもん。
父:時間をみながら整理してね。頭が下がりますよ。こうして古い年賀状をめくって見てると、昔を思い出すねぇ。
ー 今でも年賀状は出されてますか?
母:毎年、200枚くらいですかね。政志の関係で知り合った方もいますから、政志が出してなくても私らが出してるというのもありますし。
父:お母さんの友達も多いから。
母:年賀状はこちらが出したハガキが届くまでに、たぶん向こうでも出してるでしょう。せやから、「今年も楽しみにしてます」とか「成長してるでしょうね」と、こちらの年賀状を予想して書いてきてくれて。ちょっとこっちが出しそびれると、先に年賀状を見ることになるから、今度は「今年は〇〇でしたね」と返事になるんです。それも文章だけじゃなくて、写真見て大きくなってるなとかね。
父:そうそう。「なつかしいですね」とか、必ずそういう言葉でね。
母:長いこと顔見てなくても、(写真)年賀状で見てたからああ知ってるわって言われるよね。
父:やっぱりお正月の一大イベントでしょう。
母:今年はどんなん作ってきはるかなと。
父:1月1日の朝は、「年賀状まだ来てない? まだ? 来てない? もう10時半よ」って。
母:だいたい10時って決まっとるもんな。
父:ようやく届いて「よし! じゃあ、いっぱい飲め飲め」って(笑)。
母:お正月は朝から飲んではりますわ。
父:「お母さん見て見て、大きなってるわー」「ほんとやな」言うてね。
ー お正月の風景が目に浮かぶようです。
父:やっぱり写真の力って大きいんですよ。ただ撮った、じゃなくて、みんなの心を惹きつける感じがある。話もどんどん出てきますし。今は政志が人さまの家族写真を撮らせていただいてますけど、それもね、やっぱり父親の背中を見て育つと言いますか、そういう影響は半分あったでしょうね。
みんな:(笑)
父:私も今は元気ですけど、いずれ変わってきますからね。元気なうちにもっと撮りたいなと思って、今は写真への思いがもっと深くなりましたね。1年に正月が2回あったらいいなって思うかもしれません(笑)。
(写真/増田好郎)
1979年三重県津市生まれ。写真専門学校、スタジオ勤務を経て、2007年写真家として独立。現在、「浅田家」シリーズに加えて、日本全国の家族写真を撮るプロジェクト「みんな家族」なども。なお、『浅田家』の写真は、お父さんの写真年賀状と同じくすべて津市内でロケ撮影された。http://www.asadamasashi.com/