自ら撮影した写真を、カッターナイフで削って絵の具で着色する「フォト絵」。「ほぼ日刊イトイ新聞」の連載「福田のフォト絵。写真を削るとユカイが見える。」として人気を博し、書籍化にも至った。一方で、最近では『ベビーブック』(コクヨS&T)を発売するなど、日々を写した写真をアルバムに綴じてのこしていく、写真プリントの良さを伝える活動にも取り組んでいる。
ー 福田さんは、写真家のお父さんをお持ちでしたよね? やはり普通の家庭よりたくさん写真がのこってましたか?
たぶんね、普通か普通以下だと思います。父は仕事で撮ってたから、逆に、あんまり家の写真は撮っていなかったですね。
ー 子ども頃のアルバムはどなたが作ってくれたんですか?
母親です。
ー お父さんが撮った写真で?
いや、父親は撮ってないですね。
ー では、お母さんが写ってる写真はなかった?
ああ、ありましたね。僕、あんまり父親が家の写真を撮ってた記憶ってないんですよ。ただ、単にそう思ってるだけで、ほんとは撮ってたのかもしれない。写真を見てたら確かに僕と母親が写ってるのはたくさんあって、そして、父親が写ってるのはほとんどない。そうか。それって、父親は僕や母親にカメラを構えるばかりだったから自分が写真に写っていないっていうことですよね。
ー そういう意味では、昔からあまり写真やアルバムを意識してきたわけじゃないんですね。
なかったですね。ただ、「何か、ものを作りたい」っていう心が芽生える時があるじゃないですか。そういう時に自分で撮った写真を自分なりにアルバムみたいにしてまとめるっていうのは普通の感覚として持ってやっていました。写真のプリントを、かわいいフライヤーなんかと一緒にコラージュしたり。
ー そこに福田さんの「フォト絵」の原点があるんでしょうか。
そうかもしれないですね。僕、これまで「フォト絵」を始めたことと、父親が写真をやってたこととは全く関係ないと思ってきたんですよ。昔から、絶対父と同じ仕事には就かないって頑に思ってましたし。父は特に大阪では有名な写真家だったから、どこに言っても「福田さんの息子さん」として見られるだろうし、比べられるだろうって。
ー なるほど。
で、結局僕はイラストレーションの道に進んだけど、自分で描いててカタルシスを感じるのはどういう絵なのかっていうのを考えたとき、辿っていくと、ああ、うちの家では父親が小道具と称してたくさん骨董品を集めていたなっていうところに行き着くんです。僕はそれをずっと子どもの頃から見て触れてきていたから、いつのまにか古いものが好きになって、それが今の自分の作品にも表れている。だから結局、自分は父の影響を受けていると思うし、最近では、そのことをいやだとも思わなくなりましたね。僕もそういう歳になったっていうことなのかもしれません。
ー 福田さんの「フォト絵」は画像データの状態では出来ないことですよね。
そう。これはもともと大学在学中くらいに思いついてやりはじめたことなので、もちろんそのころってデジカメとかないし、フィルムカメラで撮ってプリントして。
ー 一般的に、アルバムとか、写真に言葉が添えられていたらよりグッときますけど、それが福田さんの場合は、言葉ではなく写真にビジュアルを加えることで表現されていますよね。現場で撮る時点でどう描くか見えているものでしょうか?
そういうこともありますね。ただ、そういうときはあんまりおもしろい「フォト絵」にならないんです。なんか分からんけど撮っておいて、あとでプリントを上にしたり横にしたりして作ったときは、なんかおもしろい。「フォト絵」は1コマ漫画的に言葉を添えて『福田のフォト絵』っていう本にもしましたけど、やっぱり僕はアナログの人間というか、デジタルがほとんどない時代からやってるので、本とか、アルバムみたいなものが、わりと身近で。
ー なるほど。
もちろん、デジタルはデジタルで、そのとき便利なものだし、必要なものだと思っています。ただ、なかなかどうしても人間の性格的に両立させるのは難しかったりしますよね。それをこの間も秋田に行く寝台列車の中でずっと考えてたんです。寝台、いいよなって思いながらも9時間半もかかるんやなって(笑)。その溝が埋まらんもんかなって。
ー どのモノさしを採用するかですよね。時間だけで測ると難しい。
だから結局人の気持ちの育て方っていうか、教育っていうと大げさだけど、何が大事かっていうことをちゃんと伝えられたら。
ー 「フォト絵」は、なんでもない失敗写真とかに手をかけることで愛を込められるわけじゃないですか。それはアルバムを作る作業と似てるなって思うんですよ。
そうですね。たとえ面倒でも、手間かけることに喜びを見いだせるかどうかっていうことですよね。そこの喜びは、きっとみんな理解できるものなんじゃないかと思うんです。これはフィルムだけじゃなくていろんな世界で言える事で、イラストの仕事でもしんどいと思ったら、そこでおしまいじゃないですか。楽しいと思うところにいかにエネルギーを注ぐかが鍵だと思っていて、それを若い人にも言うんです。アルバムづくりも、それをいかに楽しむかっていうことですよね。
僕はずっと、自分の父親は仕事中心だし奔放で、家族を顧みなかった人っていう印象を持ってきたんですよ。でも、さっき「福田さん、アルバムのお母さんが写ってる写真は誰が撮ったんですか?」って聞かれたら、ああ、そうか、そう考えてみたら父親やって気づいて。そこでやっぱりね、愛情を感じますよね。ないと思ってた愛情がそこにあることに気づけた。
そのとき写そうとしたものより、写真としてそこに写っているものが、時を経て意味を持つようになるっていう。だからこそ、プリントしてアルバムをのこしておくことの意味があるんかなって。
ー 本当です。
あと、単純に古い写真、昔のアルバムっていいですよね。そのためには今、プリントしてアルバムを作っておかなければいけないわけで……やっぱり古いものが好きだっていう話に戻るんですけど(笑)。藤本くん(聞き手/編集者の藤本智士)と一緒に作った『ベビーブック』も、最初に昭和20年代の日本で流通してた当時のベビーブックを見せてくれて、物としてすごく惹かれたことを覚えてます。それから、「一緒に作りましょう」って誘ってくれたんですよね。
ー そうでしたね。僕は、アルバムが大事だっていう思いはずっと持ってきたのですが、それ以前に、最近はみんな写真を大量に撮りすぎてる傾向があって、どれを選んでプリントしたらいいのか分からないっていう人が多いんだと思って。
それが、『ベビーブック』だと、「クリスマス」と書かれたページにはクリスマスの日の写真を、「誕生日」と書かれたページには例えばパーティーで撮った写真を、というふうに探してプリントできる。
ー そうなんです。そうやってアテンドしてあげることが実はすごく大事で。そこから、またその先が広がるはずだと思っています。だから、『ベビーブック』がまず最初に1個必要だと。
僕は、藤本くんみたいにアルバムとか写真についてまっすぐ考え続けてきたわけじゃないけど、僕らイラストレーターって基本的には右から左にどんどん流れていく仕事である部分が多いんですね。でもやっぱりそういう仕事だけじゃなくて、作品も、のこしていくものを作りたいし、作っていかなあかんなぁと思ったんですよ。そういう意味で、まさに『ベビーブック』はぴったりで。こういう風に考えるようになったのは、東日本大震災があったことも影響してるかもしれないんですけど。
ー なるほど。まさに作品も写真も「のこしていくこと」の大切さを考えるようになったという。
そう。だから、ぜひみんな写真をプリントしてカタチにしてのこしていってほしいと思いますね。『ベビーブック』がその役に立てるのならうれしいなって。こうして無事に出来上がって発売した今、自分の父親が写真家だったことも、その影響で自分自身も古いものを愛してきたことも、そして今ぼんやり考えている未来のことも、『ベビーブック』で、全て繋がった気がしています。
取材 藤本智士(Re:S) 撮影 鍵岡龍門
福田利之
1967年 大阪府生まれ。大阪芸術大学グラフィックデザイン科卒業後、イラストレーターとして活動開始。エディトリアル、装釘、広告、ムーンライダーズやスピッツのCDジャケット、絵本、テキスタイルなど、様々なビジュアル表現を手がける。著作に、『福田のフォト絵』(ウィレッジブックス)、『みんなねている』 (ミルブックス)、『フォト絵で遊ぼう!』(コクヨS&T)など。また最近では、写真とことばで子どもの成長をつづる絵本のようなアルバムブック『ベビーブック』(コクヨS&T)のイラストを担当した。
http://to-fukuda.com