ページの先頭です


サイトの現在地を表示します
サイトの現在地表示をスキップして本文へ移動します

今回、僕たち「しゃしんのかたち」取材チームが向かったのは、岩手県九戸郡軽米町(かるまいまち)。岩手県の北の端、北上山地の一角にある、日本有数の木炭の生産地です。

その日の天気は、なんとか雨は止んだというもののあいにくの曇り空。だけど、その空がなんとなく似合ってしまうほどに、軽米の町はいつもどこか寂しげです。でも、それは都会に住み慣れた僕たちが勝手に抱く幻想のようなものなのかもしれません。そんな静かな田舎町に、日々前向きにチャレンジを続ける写真屋さんがあります。店の名前は「軽米写真館」。この旅の目的は、店主、大村一徳さんに会いにいくことでした。

実は、僕がこの「軽米写真館」を訪れるのは2度目のこと。お店は、お父さんから大村一徳さんへと代替わりした際に、思い切って新しく建てた場所です。店を継いだ当時はフィルムの全盛期。しかし、その後デジタルカメラの登場で、写真屋さんを取り巻く状況は一気に変わっていきました。そんな中で、今後、地方の写真屋さんはどうやって生き残っていくのか? そして、地方だからこそ見えてくるあたらしい写真屋さんとは? 大村さんと一緒に考えてみたいと思います。

藤本:前に伺ったのは2009年。それからたった3年ですけど、いろいろありましたよね。

大村:はい。写真業界は1年1年が濃すぎて。

藤本:軽米の町自体は?

大村:変化ないですね(笑)。若い人は相変わらず少ないですし、去年、町の小学校の統合もあって。

藤本:じゃあ統合された学校は廃校に?

大村:そうです。その廃校事業に私も関わったんですよ。廃校になった円子(まるこ)小学校は僕の母校で、統合が決まってから1年かけて子どもたちの写真を撮りました。古いレンガ造りの、すごく趣のある校舎です。

藤本:へぇ、見てみたい!

大村:ぜひぜひ。近くですので。

藤本:こちらの写真館って、大村さんの代になったときに建てられたんでしたよね?

大村:はい。29歳のときに建てたので、今年で20年。その間の、写真業界のジェットコースターぶりは、なかなかでした(笑)。

藤本:よくぞ、しがみついて(笑)。

大村:落ちそうになりながら(笑)。

藤本:以前お会いしたときの話で印象的だったのは、雑誌に名前が載ったことで、お客さんが八戸からフィルム1本を持って軽米まで現像しに来てくれて、そのことをきっかけに大村さん自身、気づきがあったという話です。

大村:そうですね。お客さんの大切な写真を扱う仕事なんだっていう、写真屋さんの本分を思い出したんですね。

藤本:そこから、大村さんとしていろんなことされたと思うんです。

大村:もう、徹底的にいろんなことをやりましたね。思いついたらすぐ何でも行動に移して。

藤本:まずは店に雑貨を置くっていうところから。

大村:そう。それから、全国の方に利用いただけるように郵送でのDPE受付を始めて。あとはイベントの企画も、なるべく人がやらないような変わったものばっかりやってきました。基本的にひねくれ者なので(笑)。とにかく、思いついたらブログに書く。そしたらやらざるを得ない。フットワークだけは軽くやってきました。

藤本:以前お話を伺った「旅する写ルンです」(*1枚だけ撮影した写ルンですを他の人へ渡し、またその人が1枚撮影して次の誰かに渡す。それを繰り返すことで様々な人の手を渡り歩く、写ルンですの旅企画。最後に撮り終わった人が軽米写真館へ送り返し、ウェブ上でその写真が公開される)は、どうなりました?

大村:結局あれから合計3台が戻ってきて。それからも静かに続いていますよ。

藤本:戻ってきたんですね!

大村:もう、びっくりしますよね。忘れてた頃に郵便屋さんがボンっと持ってくるから。

藤本:おもしろいな〜。まさにああいう企画が大村さん、軽米写真館の個性ですよね。

大村:うん。基本おもしろくないとやらないので。こうやったらお客さんが来るかな、の前に、結局は自分がおもしろいと思ったことに共感してもらうしか方法はないのかなって。

藤本:ほんと、そうです。

大村:こういう世の中になるまでは、何も考えずふつうにきれいにプリントすれば、近所のお客さんに店に来てもらえてたし、それでよかった。

藤本:そうですね。でも、フィルムからデジタルに移行する中でお客さんが減っていき、その一方で、フィルムが好きであえてフィルムを使う層にも気づき始めた。

大村:そうですね。

藤本:でも、そんなコアな層も、スマートフォンの機能の充実などで、どんどんデジタル化が進んでいますよね。

大村:そうなんですよ。以前はトイカメラがフィルム好きの層を牽引していた面もあったじゃないですか。でも、最近はトイカメラもデジタル化して、またフィルムのトイカメラは落ちてきた。

藤本:そうですよね。

大村:だから、フィルムにしてもデジタルにしても、新しく面白いものがないと、どうしてもお客さんは食いついてこない。で、例えば僕は、写ルンですでポラロイド風に撮れる「Polaルンです」を作ったりして。そういうので、ブームとまではいかないけど、アクセントを置いてます。フィルム好きでも、必ずそこを卒業していく層がいるんで、新人さんを引っ張ってこないといけない。そのために、「あれ、やってみたいな」って思ってもらえるような企画とか、何か商品を出さなきゃだめなんだなって強く思っていて。もちろんデジカメプリントに対応していないわけじゃなく、ちゃんとやっています。でも、デジカメの企画は、いつも考えるんだけどアイデアが浮かばないんですよ。難しい!

藤本:やっぱりこのあたりは、地震の時、すごく揺れましたか?

大村:すごかったですよ。長かったからねぇ……。物はけっこう落ちたけど、棚が倒れたとかはなかったんですね。でも恐ろしくて、どうなることかと思いましたよ。あのとき、ちょうど震災の1ヶ月ほど前に「ぼくたちの1週間」っていう企画をやったんですよ。参加者を10人募って、1週間毎日こちらから伝えたテーマに沿った写真を送ってもらって、それを組み合せてブログで発表するっていう。

藤本:その、リアルな1週間が急に一転。

大村:はい。その後、「ぼくたちの1週間@震災後」をやって。それでもう、いかに自分たちの日々が変わってしまったかっていうのが、写真からわかりましたよね。そして、年末には「ぼくたちの2011年」をやって。やっぱり、写真には、心が写りますよね。自分たちがどう生きてきて、どう変わってきたかが、たった1枚の写真でポーンと伝わってしまうことがある。

藤本:そうですね。でも、ほんとにこんな世の中だから、新しい企画を考えていかないといけないわけですね。

大村:コツコツとね。僕、10年スパンでいろんなことをやっていて。最初の10年で店を建てて、10年で店を軌道に乗せて、その後、東京とかにちょくちょく行ってスタジオをやったりして。で、その後、今のようにフィルムに力を入れる方向に向かって、現像の郵送受付とかもやるようになったんですよ。だから、これで終わりじゃないとは思ってるんですよ。

藤本:もちろん。そして、やってきたことが活きてくるんでしょうね。大村さんは、ネットでの取り組みが大きいですしね。

大村:店の表の通りは人が歩いてないので(笑)、歩いている方(※ネット上)でしゃべらないと。そこでのコミュニケーションは大事にしています。

藤本:前にお話を伺ったとき、お客さんと写真の楽しさとか喜びみたいなものを共有することが大事だって言っておられたのを覚えていて、あらためてブログのタイトルを見たときに、すごくいいなって思ったんです。「そこに写真を置いてみる」。

大村:ああ! なんであのタイトルにしたのか当時のことは忘れちゃったんだけど、続けるうちに後から、すごくじわじわ効いてきた感じがします。

藤本:「置いてみる」っていうことは、プリントであったり、そこにカタチがあるっていうことですしね。

大村:そうそうそう。

藤本:そこでまたコミュニケーションが生まれていく。だから、まずはそこに置いてみる。それが、大村さんのやっておられることの原点なのかなって。

大村:そうですね。今思えば、タイトルがいろんなことを意味してたんだなって。人と人との関係で写真屋が成り立つんだっていうこと。

藤本:今って、むしろ小さい店ほどちゃんと生き残っていけるのかもしれない、その象徴が軽米写真館だと思うんです。やっぱり今後どんどん地方の時代になると思うから、東京でしか実現できないやり方とは違う方法を、もっときちんと発明できないかなって思っているんです。そういう意味で、大村さんは、そういう方法を発明する過程におられるように見えます。

大村:自分では行き着く場所がまだ分からないですけどね。フィルムでもデジタルでも、写真ってこんなに楽しいんだってことを、自分でも発見して、なにがしかの方法でみなさんに伝えなきゃいけないなって。それを試行錯誤して考えていくということじゃないですかね。

藤本:自分でも発見してっていうことですね。

大村:そうですね。じゃないと、伝えることができないから。少しずつです。

藤本:なるほど。

大村:前ね、いっつも来てるおじいちゃんがフィルム出しに来てくれてたんですけど、うち、2、3年前から店が徐々に変わってきたじゃないですか。そしたら、ある日とうとうその方が「ここに来ると恥ずかしい」って(笑)。

藤本:(笑)。

大村:そのときに僕はやっと、うちの店は変わってきたんだって実感できた。あれは自分の中でも1つのポイントでした。でも、そのおじいちゃんは、変わらずにずっと来てくれてるんですよ。この前も自分の遺影写真を撮りにきて。「撮っとくわ〜」ってね。軽米という場所で地元密着でやってきたこと、そしてネット上での全国の人とのやりとり。両方の人との繋がりがあって、今の僕があるんですね。

取材を終えて、お昼ごはんがまだだった僕は、大村さんが子どもの頃から通ったというラーメン屋さんへと向かいました。「こじま食堂」。そこでは、先代から70年変わらない味を守り続けているというお父さんが、とても丁寧に支那そばを作ってくださいました。日々、素材も気温も時代も変わっていく中で、同じものを提供しつづけることの大変さを語ってくれるお父さんに、僕は大村さんと同じ強さを感じました。それは、軽米という土地で、真摯によい仕事を続けていくということの裏にある信念とも言うべきものでした。

写真をとりまく状況が日々変化するこの時代、軽米の町で僕は一筋の光を見た気がしています。


(左上)古屋敷の千本桂。その昔、水飲みに立ち寄った牛飼いが刺した杖が根を張ったと伝わる巨木。
(右上)大村さんの母校。去年、廃校となった軽米町立円子小学校。
(左下)昭和25年に建てられた旧軽米町役場が今は軽米町立図書館になっている。
(右下)大正14年創業の老舗菓子店「千本松本舗」の焼菓子「千本松」は軽米の銘菓。

岩手県九戸郡軽米町軽米8-56-3 TEL:0195-46-3337 http://www.karumai.net/

ここからフッターです

ページの終わりです
ページの先頭へ戻る