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今回僕たちが向かったのは、「ササニシキ」や「ひとめぼれ」の産地としても知られる宮城県大崎市田尻。そこで40年以上写真屋さんを続ける「チバフォート」の千葉英樹さんにお会いするためです。

そもそも僕が「チバフォート」さんのことを知ったのは、2011年の夏。東日本大震災で被災した写真を、洗浄して持ち主のもとに返そうという動きを取材するため、宮城県亘理郡山元町に行ったときのことでした。沿岸部の他の地域でも行われていたこの取り組みですが、山元町には唯一、大量の写真プリントやアルバムとは別に、小さなフォトブックが並ぶコーナーがありました。

そのフォトブックは、L判サイズのプリントが綴じられていて、聞くと、これは洗浄した写真プリントではなく、泥だらけのネガを洗浄して新たにプリントされた写真をフォトブックにまとめたものだと言われて、僕はびっくりしてしまいました。

それまで、数多くの洗浄された写真プリントや、それらを複写撮影して出力したものを見てきましたが、ネガを洗浄してあらたにプリントしたものは初めてです。ネガ1本ごとにフォトブックとなったそれらの写真は、ネガの強さを証明するかのごとく、とても綺麗でした。

しかもあきらかに大変なその作業を、たったお一人で、かつ、もちろん無償でされていると聞いた僕は、その方と会ってみたい気持ちをおさえられませんでした。そして僕は、そのフォトブックの表紙に書かれた住所をたよりに、ここ宮城県大崎市田尻へと向かったのです。

このインタビューから、写真屋さんという存在の大切さに、今一度気づいてもらえたら嬉しく思います。

藤本:千葉さんがこういう活動をするようになった、そもそものきっかけは何だったんでしょうか?

千葉:震災があった日、とある警察署のおまわりさんがね、本部への異動の辞令が出たので石巻にいる同僚のもとへ挨拶に行って津波に遭ったらしいんです。車がプカプカ浮いて、あぁ、もうダメかなと思ったら、偶然ビルの4階に車がひっかかって窓を割って助かった。車も、その時は流されてしまったんだけど後から見つかって。しかも車内には流されずのこっていた写ルンですがあったんですよ。で、その方が「これ、写真にできますか?」って私のところへ持ってこられました。

3月11日から1週間か2週間か経った頃だと思います。それで、現像してみると子どもさんの小学校の卒業式と中学校の入学式の写真がちゃんと写っていた。この出来事が、きっかけだったんですね。他の場所にもきっとこういう、救うべき写ルンですやネガがあるはずだって。

藤本:なるほど。

千葉:それで、まずは南三陸町に行きました。私の兄嫁は昔、教師をやっていて初任地が志津川の中学校で、当時の教え子たちはまだあそこにいた。だから、兄嫁がお世話になった場所だということで向かったんです。だけど、個人の写真を救済するボランティア活動は手伝えませんと断られて。次に、宮城県で一番最初に写真救済を始めた女川町に向ったんですけど、関係者以外は入れませんって断られて。それで名取市の閖上(ゆりあげ)に。

藤本:それはいつ頃のことですか?

千葉:3月の末くらいですね。

藤本:その頃でも関係者以外は入れなかったんですね。

千葉:警察やボランティアセンターの人たちは、人の命が最優先で。自分は写真は一生の宝だって言ってやっているんだけども、写真をどうのこうの言ったって、命にかかわるものではないから……。

藤本:なるほど。

千葉:でも、結局閖上に行ったことがよかったのかなぁって思ってるんです。そこで竹澤さんっていう女性に出会って。彼女は、自分の子ども、そしてお父さんもお母さんもおばあさんも津波で流されてしまったんです。で、地震から数日経って自分の家族の写真を探しにいったら、それ以外にもいっぱい津波で流された写真を目にして、「これはなんとかしてあげなくちゃ」っていうことで「ゆりあげ思い出探し隊」っていう写真救済の活動を始められていたんですよ。それで、私も写真洗浄のボランティアに参加しました。で、後日、店で仕事をしているときに七十七銀行の方から「山元町もひどいんです」と聞いて。「自分の同級生が山元町に勤めてるので、電話してみるから訪ねてくれないか」って言われまして、山元町へ。向こうはきちっとボランティアの体制が整ってましたね。でも、泥だらけのネガから写真はできませんよって言われてたんですよ。


山元町から引き取ってきた、泥だらけのネガ。

こんな状態になったネガでも、ちゃんとプリントできる。

藤本:閖上でも山元町でも、プリントやアルバムをどうするかっていう話だけだったのが、そこに千葉さんがやってきて、ネガっていう存在に気づいたわけですね。

千葉:そうですね。

千葉:先日、山元町から老夫婦が訪ねてきてね。ボランティアセンターの写真救済のところへ行ったら、自分たちの写真が見つかって、それが実は家宝を写した写真だったと。私、現場でその写真を見たときのこと覚えてるんですよ。これは焼かないといけないなって思ったことも。お二人は津波が来たときその家宝を持って家の3階まで逃げたんだけど、建物自体が根こそぎ流されてしまって、奥さんを助けてるうちにその家宝は流されてしまったって。ずいぶん探したけれども見つからなかったそうなんです。「うちにあるのは、あなたが救ってくれたこの写真だけだ」って、山元町で採れたいちごを持って、中古で買ったっていう車で来てくれたんです。お互い、涙を流して話しましてね。

藤本:そうやってお礼を伝えにきてくれたんですね。

千葉:それから、還暦の時の同級会の写真が見つかったって電話をくれた方がいました。写真が好きな方で、「60年生きてきて、自分でもいろんな写真を撮ったけど、のこったのはこの1冊だけです」って。その方も泣きながらお話してくれました。そうやって喜ばれると、やってきてよかったなぁって。ほかにも手紙や電話をいただいたり。フォトブックの表紙に、これは誰が作ったんだっていうのを入れていたからですね。

藤本:見つかった人も知りたいですもんね。

千葉:山元町はそろそろ終わりつつあります。あとフィルム100本分くらいで終わりかな。閖上の方は、まだまだありますね。

藤本:今までにフォトブックにされたのは何冊くらいですか?

千葉:ちょうど今うちにのこってるのを入れて、860冊くらいです。今度の日曜日あたり救済所へ届けたいなあと思っていて。

藤本:すごい! 1000冊に届きそうなくらい! あの、そもそも千葉さんはなぜ写真屋さんになられたんですか?

千葉:私、お寺の息子なんですよ。だけど、字は読めないわ、書けないわ、下手だわってことで坊さんになりそこねて(笑)。写真は撮るだけだからできるということで最初は写真家になろうと思ったんですが、結局こうして写真屋さんに。

藤本:お店は何年くらいになるんですか?

千葉:43年くらいかな。今から8年前にね、その頃使ってた機械の処理能力が遅くて、毎日朝早くから夜遅くまで作業がかかってしまっていて、こんなことやってたら体壊すと思ってフロンティア(高い処理能力で美しい画質のプリントを仕上げられる現像プリント機)を買ったんですよ。でも、そのとき周りから「写真屋が厳しいこんな時代に新しい設備投資して、店潰れるぞ」って言われたの(笑)。だから、もう頭に来て現金で買ってやった(笑)。

藤本:(笑)。

千葉:フロンティアは本当に買ってよかったなって思ってます。なにより、こうしてフォトブックも作れましたから。

藤本:今も何本か預かってるネガがあるんですか?

千葉:ありますよ。で、洗ったネガがこれです。

フィルムは返さずに、閖上と山元町と分けて私が保管しています。「ボランティアセンター立ち上げたら応援してくれる企業もありますよ」って言われたけど、そんなのね、私の趣味でやってんだからって断ったんですよ。でも、ありがたいことに宮城県写真商業組合からは材料代を援助いただきましてね。実は私、去年の7月に心筋梗塞で倒れちゃって、今は自分の身体が大事だから朝早くからとか、夜遅くまでやるとかはできないんです。でもね、ちゃんと最後まで、山元町と閖上から引き取ったネガが1つ残らず全て終わるまではやり続けますから。


フロンティアに向かい、洗浄したネガのプリント作業をする千葉さん。

千葉さんにお話を伺いながら、僕は、昨年、被災地の写真救済現場を取材してまわっていたときのことを思い出していました。各地で大量の写真プリントを目にして、僕がもっともショックだったこと。それは、ここ10年の写真、すなわち最近の写真がほとんど見当たらないという事実でした。つまり、まるで写真がプリントされていない、ということが明らかになったのです。

逆に言えば、写真屋さんで現像プリントをお願いしていたからこそ救われた思い出たちが、そこには大量にありました。そして、僕は写真屋さんの確かな役割を感じたのです。まだまだ写真屋さんの果たすべき使命はのこされていると。

千葉さんは、そんなことを今一度僕に思い出させてくれました。デジタル全盛の時代にあってなお、写真をプリントしてカタチにのこしていくことの大切さを伝えていかなきゃいけない。あらめてその思いを強くしながら、チバフォートを出ると、空に虹がかかっていました。僕はなんだか勇気づけられたような気持ちになって、しばらく千葉さんとともにその虹を眺めていました。


(左上)実は、早朝5時に待ち合わせした僕たち。雁が飛び立つ光景を見せたいと蕪栗沼(かぶくりぬま)へ連れて行ってくれたのでした。その車内から見た夜明け前の美しい月。
(右上)雁が飛び立つ圧倒的な光景に、それを幾度となく見ている千葉さんも、何度もシャッターを切ります。
(左下)奥さんが用意してくださった朝ごはん。米どころだけあって、ごはんが最高に美味しいのです。岩魚も頭から丸ごとガブリ。
(右下)取材が終わり外に出ると、ちょうど雁も群れをなして沼の方向へと帰っていくところでした。

宮城県大崎市田尻沼部富岡98-8 TEL:0229-39-0535

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