写真家の平間至さん、俳優の佐野史郎さんとともに、アルバムの大切さについて鼎談させていただいた昨年の「アルバムの日」(毎年12月5日です)のトークショーに、観客として来て下さったのが吉原さんとの初めての出会いでした。もともと平間至さんのお知り合いという縁で来場された吉原さんは、新潟県新発田市で吉原写真館を営む、なんと6代目。城下町として栄えた新発田の町を写真のチカラで再興しようと「写真の町・シバタ」なるプロジェクトをスタートさせるなど、町と写真の関わりについて考え、行動されています。
実は取材当日も吉原写真館の紹介というより、ほぼ1日かけて、たっぷり新発田の町を案内してくださった吉原さん。町に対する誇りと、おもてなしの心に胸打たれた後のインタビューを、まずはぜひ読んでみてください。
吉原:「写真の町・シバタ」プロジェクトは今年で3年目になります。イベントは毎年秋にやっていて。ただ、期間が限定されたイベントというよりは、1年中写真で元気な町を目指して活動しているんです。きっかけは写真家の細江英公さんの個展が新発田で開催されるのが決まったこと。町をあげて写真の取り組みをして細江さんをお迎えしようと。
藤本:最初はやっぱりおもてなしの心から始まったんですね。
吉原:そう。で、調べていったら新発田には日本写真会新発田支部の会長を務める菊水酒造の社長さんをはじめ、写真に詳しい人がいっぱいいて。しかも古い写真やガラス乾板が、うちの店だけじゃなくて普通のご家庭からの持ち込みとかで1000枚くらい出てきた。これはやばいぞ、と。本当に写真の町だなって。
藤本:なるほど。
吉原:で、最初はガラス乾板から始まったんですけど、活動を進めるうちに家庭にのこっていたアルバムもかなり貴重だなって。いろんなお宅に伺って見せてもらったら、やっぱり着てる服から髪型から全部貴重な資料なんですよ。そして、そもそも写真自体がいい。上手なんです。普通の家庭の写真なんだけど、構図も撮影の仕方もぐっとくるんですよね。
藤本:ああ、分かります。でも、そもそもなんで新潟にたくさん古い写真やガラス乾板がのこってるんですか?
吉原:特にこのあたりは戦火から逃れたんですね。新発田で最も古い写真館、丹後写真館をはじめた丹後寛一郎さんの子孫の家の倉庫からは500枚以上の乾板が見つかりました。
丹後さんは1847年に生まれた元・士族で、横浜に行って下岡蓮杖(しもおかれんじょう。幕末から明治にかけて活動、日本初の商業写真家と言われる)の元で写真術を覚えた後に戻ってきて、明治初期に新発田城や新発田の町で活躍した人々を次々に撮影しました。当時の新発田にはすでに、いくつもの写真館があったんですよ。新潟は港があるから横浜に近いところがあって、キリスト教を伝えるための英語学校があったり、西洋の医療も結構、早く伝わってきてたりするんですね。下岡蓮杖の弟子も多くて、彼が新潟に訪れたときにのこした絵や乾板とかも出てきてるんです。そうやって追ってくだけで、かなりエピソードが見つけられるんです。
藤本:当時は高価だった写真がこれだけ出てくるということは、この町の人たちに余裕があったということですか。
吉原:そうですね。中心の大通りも、今は少し寂しいですけど、それでも今なお銀行の支店が7つくらいある。軍都だったこともあって経済的には豊かだったんですね。城下町としても栄えていたから、今もお茶の文化がのこっているし、お菓子屋さんも多いんですよ。
藤本:集まった写真や乾板は全部スキャンしてウェブで公開する準備中ですが、それって、今の時代だからこそ出来ることですよね。
吉原:はい。そもそも、こういったプロジェクト自体、一人じゃできないことで、ネットでメーリングリストを作ったり、サーバーにのっけて共有したりしてるからみんなでコラボレーションできる。そんなに頻繁に会ってミーティングなんて出来ないですからね。それぞれに得意な分野があるから、手分けして、この人は文章、この人は営業で外回りをして……と、進めてきました。で、そうやっているうちに写真家の平間至さん、俳優の佐野史郎さんとか、どんどん仲間が増えてきたんですよ。
ただ、今は時代の転換期で世代的にもギリギリ。写真がたくさんのこっている家庭の人でも「息子は、こういうアルバムに興味ないですよ」って言う。でもそこで、「いや、僕自身も昔東京にいた頃は全然興味なかったんですよ」って。「でも、ある日変わることがあるから」と伝えるんです。変わるきっかけっていろいろあって、そういう意味で、「古いアルバムはかっこいいんだよ」「歴史って大切なんだよ」って、平間さんや佐野さんみたいな方が言ってくださることが大きい。一般の家庭でアルバムを開くシーンがなくなったっていうのは、人々が歴史を振り返らなくなったということで、それはつまり時間を失ってるってことなんですよね。
藤本:すべての隙間にスマホやパソコンなどいろんなものが入ってきて、間がなくなってしまったんですよね。
吉原:そうですよね。過去100年を振り返るっていうことが、逆に100年先を考えることだっていう。もちろん10年先、20年先でもいい。だから今、ものすごい変化の過渡期ですよね。
藤本:アルバムをつくる行為が減ってるのは、すぐに結果が出ないからですよね。僕の小学生の娘も、今アルバムをあげたって正直喜ばなくて、キャラクターのおもちゃの方が嬉しがる。でも、20年後に娘は絶対喜ぶはずだと思って作るんですよ。その日を待つ力ですよね。
吉原:そうですね。うちで家族写真撮ってくださるお客様で子どもが2人いて、必ずいつも写真を焼き増しして、2つアルバムを作ってる方がおられるんですよ。「子どもたちのために」って。すごいなあって。もっといえば、昔の写真って、高価だったから今とは全然違いますよね。記念写真の値段が、戦後の平均的な給料の約半分の価格で、それでも払って撮っていた。それだけの意味があったんですよね。
藤本:地方を旅していると結構、写真館ってのこってるもんだなぁと思うんですが、実際のところ今、機能しているかというと厳しい印象なんです。
吉原:そうですね。ただ撮るほうだけに向きすぎちゃっているのかもしれませんね。写真館はその町をアーカイブすること、町の歴史をのこしていくことのプロフェッショナルとしてあるべきだと思っています。海外でずっと放浪の旅をしてるときに知ったんですけど、各地でその役割を果たしているのが美術館なんですね。アメリカのメトロポリタン美術館とか、イギリスの大英美術館とか、そこが国の精神の骨格を作ってるんですよ。でも日本の美術館ってやってないでしょう。それを新発田だけだったら出来るかなって思っているんです。
藤本:そうですね。写真があれば、一発でその土地独特の文化が見えてくる。
吉原:そう。実は僕、ヤフーなんかのオークションで乾板が出品されるとメールで知らせてくれるように設定しているんですね。で、たまに出てくるけど誰も買わないから、それを1,000円でも500円でもいいから買って、何か出来ないかなって考えてるんです。かき集めて、それを1つひとつ丁寧に焼いたら全部宝物。誰がなぜ撮ったのかを調べていったら必ずそこには物語があって、たぶん100に1つはとんでもないエピソードが見つかると思うんですよね。
あと、写真があれば当時のことを思い出せるんだけど、最近はもう1つ、大切だと思っていることがあるんです。それは、当時を忘れたいときにその写真を捨てられるということ。この前も古い工場跡地から写真が出てきて、その処分に困っていた人がいました。だから、そういう写真の供養として年に1回、お寺や神社で写真を燃やして拝んで……って。それを新発田でやったらいいんじゃないかと。情報として価値があるものはちゃんと事前に記録してから供養して。
藤本:それで言うと、実はデジタルの写真って実際の物量がないからなかなか捨てないですよね。で、どんどんたまるから、選ぶのがおっくうで余計にプリントしない。
吉原:あっ、パソコンとか携帯電話上のゴミ箱のアイコンの隣に、「写真供養箱」のアイコンがあったらどうでしょう(笑)。写真はゴミ箱じゃなくてこっちへ、って。神社みたいなのが出てきて「ただいま写真が供養されました」って。新発田からアプリ作ろうかな(笑)。