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北村範史

イラストレーター、フォトグラファー

1968年東京生まれ。横浜市立大学商学部卒業(社会学専攻)、セツ・モードセミナー研究科終了。書店勤務を経て2000年よりフリーのイラストレーター、フォトグラファーとして活動。
イラストはファッションや雑誌の枠に止まらず、展示や壁画作成など活動は多岐にわたる。

北村範史 ホームページ

鳥の群れを描いて、あらためて形の面白さを認識した。

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─ 空の写真ですね。よく見ると、鳥が群れています。

そうです。表参道から少し入った場所で撮影しました。原宿方面に歩いるとき、ふと上を見ると鳥が群で飛んでいた。コンパクトカメラを持っていたので、撮影しようとしたのですが、その時にはすでに群れは飛んで行ってしまった。だけど鳥って旋回しますよね。その後、何度か僕の上を旋回したので撮ることがきた一枚です。季節は秋で時刻は夕方。どんな鳥なのかはわかりません。雲や光の感じの感じも良かった。写真にしてみたら、それぞれの鳥のシルエットがおもしろいなと思いました。普段僕たちがイメージする鳥の形と、このシルエットはまるで違う。この差がとてもおもしろいんじゃないかなって。

その頃、絵を描いていた雑誌『BARFOUT!』から、年賀状の依頼が来ました。そこに、女の子のシルエットと鳥を描きました。年賀状にするときは、サービス版の小さな写真を見て描いた記憶があります。描くために、あらためて写真を見ているといろいろ見えてきます。背景の光の入り具合とか、いろいろな要素が影響してくる。その頃から僕は、写真というのは光の具合が影響していないと、魅力的に見えないというふうに思うようになりました。

群れを描いていくと、あらためて形の面白さを認識しました。それから鳥のシルエットを描く機会が増えましたね。この「鳥の群れ」はイラストだけではなく、モビールになったり、建物の壁画になったりもしました。

─ 一枚の写真が大きな転機となったのですね。

なぜそこまで「鳥の群れの形」に惹かれるのかなと考えたのですが、学者のような生物的興味からではないんです。僕は東京の都心で生まれ育ちました。子どもの頃からビルがどんどん建っていく環境です。ふと町中で自然を感じるのは、鳥がビルとビルの間を横切るような瞬間。鳥のおかげで、急に視点が抜ける。そんな時、とても自由な気持ちになれる気がするんですね。たくさんの人たちが頑張って建てた巨大ビルが、小さな鳥の存在でただの背景になってしまう。その逆転がおもしろい。

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きれいな物を残すのではなく、「なにか」に反応できるかに意味がある。

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─ 北村さんは「群れ」を撮る以前はどういう状況だったのですか?

大学では社会学を専攻していました。周りは銀行とか証券に行く感じでしたが、自分には就職は向いていないだろうと思うようになりました。大学4年の時、セツ・モードセミナーに入学し、一年留年して絵を描き続けました。セツはファッションだけでなく、絵を描くクラスもあって、画塾みたいな感じですね。

そこでは同じ思考の人たちに出会うことができました。それまではあまり同じタイプの人がいなかったのですが、映画、音楽、絵など感覚があう人たちと出会いました。その頃、写真も撮り始めました。カメラ自体は子どもの頃から好きだったけれど、僕には撮る物がわからなかった。セツの友だちを撮り、そこから派生して人やいろいろな物を撮るようになりました。大学卒業後は書店に就職して7年ほど勤めた後、フリーランスのイラストレーター、フォトグラファーになりました。

─ 「鳥の群れ」以外はどんな写真を?

かつてはガールフレンドとか、ファッション関係が多かったですね。フリーになってからはイラストレーターの仕事が多く、仕事ではあまり撮ってはいません。その頃からデジタルに移行してきて、日常の物を撮ることが多くなりました。たとえば、僕は毎日、球根の成長過程を描いているのですが、これはある意味トリミング(切り取る)行為です。その球根の光の具合が美しく、「絵じゃないかな……」と思うようなときは写真を撮る。あと、ブログの日記用に撮っているのが空ですね。

「あっ」「何だろう」と思うときに反応しておきたいなという感じがあります。きれいな物を残しておきたいという感覚とは少し違います。町を歩いていて、きれいな人を無許可で撮ることはしない(笑)。自分が反応した物を残したい。それは、必ずしもきれいな物だけではないんです。すぐに反応できるということが僕にとっては意味があることかもしれないですね。

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想像をかき立てる要素があれば、写真はピンぼけだってかまわない。

─ 北村さんにとって、良い写真とは?

自分の純粋な視点でいうと……。たとえば、モデルを撮った写真をプリントして、並べてもどれが良いかわからないことがあるんですね。「モデル用のポートフォリオに入れるにはこれがいい」というのはわかる。だけど、撮影時の感じや、モデル顔ではないときの表情がいい場合もあるし。写真を選ぶときは「それが何のために」という視点で選んでいます。

僕はシルエットを描くことが多く、写真を元に絵を描くときがよくあります。そういうときは、きれいなモデル顔ではないものを選ぶことも多い。絵にするときの写真はピンぼけでも良い。なにかしら、僕の想像をかき立てる要素があれば、むしろその方が良い場合だってあるんです。
僕の想像をかき立てる要素があれば、むしろ。

─ 絵描きは頭の中を描くイメージがあったのですが、北村さんのイラストレーションの生み出し方は緻密で、素材を作り、加工し、冷静な視点で絵にいていくという、デザインの要素も含んでいますね。

絵を描く人は大きく分けて、2タイプあると思います。なにも見ないで自分の世界を描く人と、なにかを見て描く人と。僕はなにかを見ないと描けないタイプじゃないかなと思っています。気になった写真や雑誌の切り抜きをスクラップブックにして何冊も持っているのですが、スクラップブックを見て描くこともありますね。

─ シルエットに興味を持ったきっかけは?

デッサンするときに、「骨格を見る」という考えがあります。短い時間で描くときに、表面のテクスチャーを描くのではなく、「モデルの腰がこうなっているから、足がこうなっていて、力がこうはいっている」というのを描く。写真を撮るときも、気がつくと骨格のよく見える場所に移動したりしていますね(笑)。絵を描いていても表情や「目がきれい」と感じる人が多いと思うのですが、僕の場合表面ではなく、首や腰の入り方に惹かれる。つまりは、骨格に惹かれているんですね。

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2010/10/20 取材・文 井上英樹/構成 MONKEYWORKS
写真 藤堂正寛/Webデザイン 高木二郎

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