PhotoIsPower-mainvisual

若木信吾

フォトグラファー・映画監督

1971年静岡県浜松市生まれ。ニューヨーク州ロチェスター工科大学写真学科卒業後、写真家として雑誌、音楽、広告媒体など、幅広い分野で活躍。祖父を撮り続け、写真集『Takuji』、『葬送』などを発表。祖父を題材とした第1回監督映画『星影のワルツ』は2008年ロッテルダム国際映画祭タイガー賞にノミネートされた。現在、監督2作目の『トーテム Song for home』のDVDが発売中。

『トーテム Song for home』Official Site
若木信吾HP

僕にとって大発見だった台湾に住む青年。

Wakagi Shingo-pic

─ 『トーテム』は台湾の少数民族であるアミ族の青年を主役にしました。どのような経緯で映画化したのでしょうか?

2006年に雑誌の取材で台湾の台東北部の都蘭(ドゥーラン)という村を訪れました。取材時の運転手兼ガイドであるスミンさんは台湾の少数民族であるアミ族の出身。彼の話や存在が僕の中でなんだか引っかかった。というのも、彼らは自分たちのことを「原住民」(中国語圏では、先住民は「今は存在しない」という意味になるため、「原住民」が用いられる)と呼ぶ。「原住民」なんて、アフリカとかに行かなければ出会えないものだと思っていたのに、すぐ近くの台湾に踊りや音楽などの独特文化を持った人々がいる。それが今の時代にキープされていることが驚きでした。僕にとっては大発見だったんです。

─ 写真家の若木さんが「映画」という手法を用いたのはなぜですか?

以前から、平均年齢75歳以上の長寿バンドの石垣島の白百合クラブやハワイのミュージシャンのジャック・ジョンソンたちへの取材から「引っかかり」を感じていました。 彼らの土地やスミンさんたちのいる台湾は「パシフィックリム」と呼ばれる環太平洋エリアにあります。「環太平洋音楽地図」のなかの共通性を感じました。彼らはオリジナルの音楽を作り、気持ちよく過ごし、独特のバイブ感を持っている。台湾のスミンさんたちも同じなんです。その輪の中にいて、音楽活動もしているスミンさんたちを、音楽と共に記録したいと感じました。故郷から離れ、都会で暮らしながらも故郷を歌い続けるスミンさんたちの存在を世の中に知らせておかなくてはと。ただ、写真集を「知らせる装置」として考えると、知る機会がどうしても小さくなる。僕ができる方法として映像という手法があったので、ドキュメンタリーを撮ろうと思いました。

写真家が映画を撮ったというと、「絵作りにこだわった」といわれがちだけど、そこだけにこだわっているわけでもない。写真家の作品集を見ればよくわかるのだけれど、写真集のどこかに必ず題材を選ぶ視線が見えてくる。そうじゃないと写真家としてやっていけない。そこには作家としての意図がある。そういう意味では、僕には映画も写真も同じことであるといえますね。

top

東京から飛行機ですぐ近くの場所に僕たちとは違うアイデンティティを持つ人がいた。

Wakagi Shingo-pic

─ この写真はどういう状況なのですか?

この青年が『トーテム』の主役であるスミンさんです。映画撮影後に台湾を訪れました。地元のお祭りがあったので、彼はアミ族の民族衣装を着ています。普段僕が接していたスミンさんからは、あまりこのような真剣な表情を見ることがありませんでした。この日はとてもシリアスだし、僕たちとの距離感が突然のようにできたという感じでした。それがおもしろかったんです。

彼本来の姿が出た感じですね。そこに「民族」があるというか、僕たちとは違うアイデンティティを持つ人がいた。最近、「みんな同じ人間だ」という捉え方をしがちです。もちろん根本は「同じ人間」だとは思いますが、それぞれの土地の考えや独自の文化を持っています。それがアイデンティティなんだと思う。この写真には民族的な顔立ちや衣装という「アミ族の特徴」もでているのに、スミンさんという「個人」が見えるのがいいなと思っている。「客観的」になっているというのが、この写真のおもしろさではないでしょうか。

─ 映画撮影中も写真を撮っていたのですか?

いえ、ほとんど撮ることはなかったですね。映画撮影後に台湾を訪れた時に撮ってみました。映画と写真って本当に違うものだと思います。時間を左右するものとして動画があるとすると、写真には時間がない。前後を切り取って時間を無くしてしまう。動画には時系列がある。動画って、つまりは時間の「編集」なんですよね。写真とは考え方もかなり違ってくると思います。

どちらかといえば写真は簡単に撮れます。ですが、その作業の裏には深く考える時間が必要です。写真家は撮っているよりも考えている時間が長いのではないでしょうか。時間と関わらないものを作ることに対して、時間のことを考えなければいけない。映画撮影を通して、いろいろ考えさせられることが多かったですね。やはり動画はストーリーを考えざるを得ないんですね。時間が流れている状況がある以上、物語的要素が始まってしますので。

top

写真はその人と出会った事がどれだけ大事だったかを証明できる。

─ たとえば取材後に写真をプレゼントしたり、見せたりする機会はあるんですか?

僕はフィルムで撮ることが多いんですけれど、なにを撮っているかを確認することはできません。取材の時「自分が何をやっているか」というところで、信頼してもらいたいという気持ちもあるんです(笑)。 ですから、たまに記念写真をあげたりはしますね。写真はその人と出会った事が「自分に対してどれだけ大事だったか」を証明できるんですね。取材で出会い、撮らしてもらった写真を送れば、「この出来事は自分にかなり影響を及ぼしましたよ」と相手に伝えることができると思う。それを伝えることは重要だと思っているんです。

─ 東日本大震災の津波後の町で、アルバムを大切そうに探している様子が繰り返し報道されていました。人にとって写真は相当重要なものだとあらためて気づかされました。

本当にそうですね。ですが撮られる側はセルフイメージがあるから、自分がちゃんと構えて撮って欲しいと思う時以外は撮られたくない気持ちのあると思う。報道カメラマンが被災地に入っていますが、本当のことを言えば写真を撮って欲しくない人も多くいるでしょう。ですが後になって、「撮ってもらってよかったな」とか、「写真として残ってよかった」と思う時期がくるかもしれない。……写真って最後にそうなる気がする。

ただ、多くの報道写真は「現在の状況を伝える」という使命で撮りに行くのでしょう。そこには「人間の考え」「正義」「善」が前提にある。ですが、「本当の写真」として残る可能性のあるものは、少し違う写真なのではないかなと思う。

写真は年月が経っていく経験を感じることができる。身につけているものなんて、5年もするとほとんど変わってしまう。時間を証明するものって写真や映像しかなく、今いる自分が「ずっと同じではない」ことは写真を通してみんなに伝わっているのだと思う。それが「写真の凄さ」なのではないでしょうか。一時的な羞恥心や正義、善は明日どうなるかわからない。刻々と変化していくもの。だけど時間が変わらない「本当の写真」は、今の時代とても重要なものになっているように思います。

Wakagi Shingo-pic

2011/3/00 取材・文 井上英樹/構成 MONKEYWORKS
写真 藤堂正寛/Webデザイン 高木二郎

top
ここからフッターです