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坂口修一郎

プロデューサー・ミュージシャン

1971年鹿児島生まれ。1993年東京発の無国籍音楽楽団DoubleFamousを結成。音楽活動の他、代官山UNITの立上げに参加した後、 プロデューサーとして様々なイベントを手がけ、その活動は多岐に渡っている。
2010年より故郷鹿児島で野外イベント、GOOD NEIGHBORS JAMBOREEを主宰。


www.doublefamous.com

ジェーン・バーキンはたった一人で僕らに会いに日本にやってきた

─ ジェーン・バーキンはどのような経緯で日本に来たのですか?

ジェーン・バーキンは日本の惨状をニュースで知って本当に1人で駆けつけました。ジェーンはハイチの大地震の時も被災地を訪れているんです。自分が今なにをすべきか。欧米のセレブレティーは自分の立場をよくわかっている。その地を訪れることで、メディアが同行し注目が集まりますからね。
「数日後、ジェーン・バーキンが日本に来る」という連絡を元UFOの松浦俊夫さんからもらいました。日本を支援するライブを行うので、ミュージシャンを集められないかという話でした。

僕は20代の頃はフランスかぶれで、好きが高じてフランス系の企業で働いていたこともあります。セルジュ・ゲンスブールを中心とした音楽、映画、文化が大好きでした。パリにある彼の墓参りにいったほどです(笑)。
もちろん、彼女の初出演した作品も含めてほとんどの映画観ていますし、音楽も聞いてはいました。でも……そのころジェーンの印象は「ゲンズブールの奥さん」という感じでしたね。これが彼女の大ファンなら興奮したかもしれないけれど、話をもらったときは割と冷静でした。

Jane band

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─ 電話をもらってすぐにメンバーが決まったのですか?

はじめは僕の所属するDouble Famousはどうかと聞かれたのですが、震災直後でしたし、みんなも仕事を持っている。それに彼女の持ち歌を数日間でDouble Famous用にアレンジするのはちょっと無理だなと感じました。Double Famousでやるのはハードルが高すぎました。でもまずはひとり彼女の音楽性を理解して、柔軟に対応してくれるピアニストがいれば、なんとかなるかなと。ジェーンの音楽はギターよりピアノがいい。それですぐにピアニストの中島ノブユキさんに連絡しました。

並行して彼女の音楽を直感的に理解できるだろうなと思えるミュージシャンをリストアップして、すぐにOKしてくれたのがDouble Famousのメンバーでもある栗原務(ドラムス)、金子飛鳥さん(バイオリン)。連絡をもらって数十分でメンバーは決まりました。当初僕は入るつもりはなかったのだけど「トランペットできるんだったら入ってよ」ということで。

─ 本当に数日後、たった1人でジェーン・バーキンがやって来たんですね。

うん。連絡をもらった4日後にジェーンがマネージャーも連れてこず、本当にたった一人でやって来たんです。当時は東京の外国人はこぞって国外脱出をしているとき。東京行きの飛行機は空っぽだったそうです。ジェーンは「チャーター機で来たよ」と笑っていましたけど(笑)。僕はジョークだとわからずに「さすがスターだな」と思っていたんだけど(笑)。

時間の制約もあったし、なにせ緊急招集のバンドだから大変だったけれど、Club Quattro 渋谷で行われたライブにジェーンはとても興奮していました。イベントは結果的に黒田育世、篠原ともえ、高田漣、鶴田真由、寺島しのぶ、原田郁子(クラムボン)、松浦俊夫、守時タツミ、U-Zhaan、渡邊琢磨(COMBOPIANO)といった、すばらしいアーティストが参加してくれました。

本当にジェーンは喜んでいた。「この子たちを誘拐して連れて帰りたい」と言ってくれたほどです。まあ、僕たちは「子ども」と呼ばれる年でもないんだけど、彼女の本当子どもであるシャルロット・ゲンズブールと僕が同じ年の同じ日に生まれているので「子どもたち」となったのかもしれません。

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─ 坂口さんの一枚に写真は、ジェーン・バーキンとの2ショット写真ですね。

これはライブが終わった後のショットです。それにしても久しぶりに緊張したステージでした。僕が普段演奏するDouble Famousはいわば、ホームゲームのようなもの。今回は僕の親世代くらいのジェーン・バーキンファンがたくさん見に来ている中の演奏だったし、準備もぎりぎりだったのでさすがに不安だったんです。でも、お客さんもジェーン本人もとても喜んでくれた。

楽屋に戻るとジェーンが「ねえ、北米ツアーの話があるんだけどどう?」と僕たちに聞いてきました。最近の彼女のライブは大がかりになる傾向にあったみたいで、Together for Japanのような小編成のステージは本当に久しぶりだったみたいです。彼女の目は真剣で、それは100%真実を言っていたと思うんだけど、正直いうと実現する可能性は低いだろうなと思っていました。だって、彼女はビッグスターだし、ハードルはいろいろあるからね。

そんなやり取りがあったあと、皆がほっとしているときに撮ったのがこの写真です。
「ねえ、一枚撮っていい?」「もちろん」なんていいながら。なんか、ほっとしているなあ(笑)。

─ 本当にジェーン・バーキンに「誘拐」されることになったんですね。

坂口imgライブの数日後「日本と北米でツアーをしたい」と、ジェーンのマネージャーから正式に連絡がありました。おそらく、ジェーンがフランスに帰国したその日にスタッフに僕たちをツアーに連れて行くと伝えたんじゃないかと思います。

11月25日に<Jane Birkin sings Gainsbourg"VIA JAPAN">(東京国際フォーラム)を皮切りにシアトル、バンクーバー、サンフランシスコ、ロサンゼルス、シカゴ、トロント、モントリオール、ワシントンD.C.、ニューヨークを回る北米ツアーを行います。……僕たちを誘拐したいって言っていたけど、本当にされるんだな(笑)。

僕もミュージシャンとして演奏する以外のプロジェクトに沢山関わっているので3週間も仕事を離れるのは正直大変です。いろんな人に迷惑をかけるしね。だけど、ジェーンの気持ちもうれしいし、またたくさんの人とつながっていけるるんじゃないかと思っています。……社会人でオリンピック代表の人とかいるじゃないですか。まさに、会社休んでオリンピックに出てきますみたいな感じですね。……なんかその人の気持ちわかるなあ(笑)。

2011/11/01 取材・文 井上英樹/構成 MONKEYWORKS
写真 藤堂正寛/Webデザイン 高木二郎

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