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小沢剛

アーティスト

1965年東京生まれ。東京芸術大学在学中から、風景の中に自作の地蔵を建立し、写真に収める《地蔵建立》開始。93年から牛乳箱を用いた超小型移動式ギャラリー《なすび画廊》や《相談芸術》を開始。99年には日本美術史への皮肉とも言える《醤油画資料館》を制作。2001年より女性が野菜で出来た武器を持つポートレート写真のシリーズ《ベジタブル・ウェポン》を制作。2004年に個展「同時に答えろYesとNo!」(森美術館)、09年に個展「透明ランナーは走りつづける」(広島市現代美術館)を開催。


http://www.ozawatsuyoshi.net

日本初の油絵の展覧会を再現。

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─ 浅草寺の一角に、日本初の油絵の展覧会「油絵茶屋」を再現したということですが、ここは東京でも有数の観光地。美術に興味のない人も作品に触れる機会が多いと思います。作品への反応はいかがでしたか?

この「油絵茶屋再現」という展示は、明治7年に五姓田芳柳(ごせいだほうりゅう)という画家が浅草寺本堂の境内で油絵を見せた展示の再現です。当時は、すべてが油絵というわけではなく、半分くらいは水性絵の具で、仕上げにニスを塗って油絵風に見せていたようです。実際に、油絵の具が手に入りにくかったのと、油絵の具の使い方をうまくマスターしていなかったからでしょうね。現存する資料を元に、東京芸術大学の学生たちに描いてもらいました。

おもしろい反応が多いですね。いろいろな資料に当たって展示会場である「茶屋」も再現したんです。茶屋の設置が完了した時、近所の大工さんが「どうだいできたかい?」とのぞきに来てくれた。彼は僕たちの下手な大工仕事をずっと、見守ってくれていたんです。大工の棟梁は一通り見て、「なかなかやるじゃねえか」と褒めてくれました。 「でもな、オレっちの絵の方がすごいぜ」というんです。なんだろうと思って「どんな絵ですか?」と聞くと、「これだよ!」って上着をばっと脱ぐと、登り鯉と美女を描いた見事な彫り物が背中にあった。これには驚きました(笑)。やはり浅草は、美術館にはないような交流がありますね。

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─ アーティスト小沢剛さんのキャリアは「地蔵建立」という作品群からはじまっています。デビューは写真家としてですね。

もともと大学では油絵を専攻していたので、写真家としての意識はいまでもありません。たまたま写真機という「ツール」を利用しているだけです。そのつど、作りたい作品の表現方法にフィットしている方法を選んでいるのですが、「瞬間的に風景を切り抜ける道具」としての写真や写真機にはずっと興味を持っています。

でも、僕はマニュアルを読むのが大嫌いだから、ろくに絞りや露出など理解していないところから、作家としてスタートをきってしまいました。だから、本気で写真をやっている人とまったく話が合わないんだな(笑)。

─ はじめてご自身のカメラを手に入れたのはいつですか?

初めて買ったのは大学生かな。高校の頃までは親父のカメラを借りていましたね。それをもって旅に出て撮っていました。たしか設計がライカと似ていると言っていたな……。次は二眼レフの……、あれなんだっけ。うーん、おぼえてないんです。そういう機種とか細かいことはあんまり。大学生の頃は、いろいろな国を旅していました。そして旅で撮っていたのが「地蔵建立」につながります。

今考えると、これまでずっとカメラを持って行動している。(カバンの中をのぞきながら)今も小さなカメラを持ち歩いていますね。僕は道具へのこだわりがあまりなくて、「使いやすい物がいい」と思うタイプです。昔の彼女の名前を忘れちゃうみたいに、昔のカメラの名前も忘れる。……あれ、みんな覚えているのかな。昔の彼女の名前は……。例が良くないな(笑)。

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震災で共感したアメリカ・ニューオーリンズの人たち。

─ 最近の写真作品にはどのようなものがありますか?

inner-picこの間、アメリカのニューオーリンズ現代美術センターで行われたPROSPECT.2という展覧会で「ベジタブル・ウェポン」を発表しました。ニューオーリンズはハリケーンカトリーナ(2005年夏)が襲った場所です。ハリケーンで街が滅茶苦茶になった上に、5年後にはメキシコ湾原油流出事故で河口付近や近海一帯がダメになってしまった。この町はシーフードが有名な場所だったのに……。

展覧会の前、現地のフード雑誌にモデルの募集をしました。応募には顔写真と「ハリケーンカトリーナとどう向かい合ったか」というテーマのレポートを出してもらいました。応募はあったのですが、東日本大震災で僕自身が無気力になってしまって、しばらくはなにもすることができず、レポートを放置したままでした。

あるとき、ふと思い返して、届いたレポートを読みはじめました。どのレポートにも、すごくいい言葉が散りばめられていました。気がつくと、僕は泣きながら読んでいたんです。モデルの顔は関係なく、レポートから浮かび上がった「生きざま」だけでモデルを選びました。

結果として、選んだ女性はフォトジェニックではないタイプの人だったので、撮影はとても苦労しました。だから、全力で撮りましたね。いい写真が撮れたと思う。レポートで書いてくれたような、彼女自身の経験がにじみ出ていればいいなと思いますね。

彼女は現在医者のインターンだそうです。きっと、ハリケーンや海が滅茶苦茶にされた経験が彼女をそうさせたのでしょうね。ニューオーリンズの人たちもまた、悲しい痛みを知っている人たちです。僕たちが3.11を経験したことで、彼女たちの痛みを理解することができたし、彼女たちから学べると思った。やはり重要なのは、「その後、どう生きたか」ということではないかな。

なんでもない写真はまなざしのトレーニング。

─ 小沢さんの一枚の写真を教えてください。

僕が使っているノートパソコンのデスクトップ画像です。写っているのは僕の子ども。家族写真というのは、撮るのになんの心構えもいらない。ただ日常を撮っているだけ。別に発表するつもりもないし、あくまでもプライベートな写真ですね。僕が撮るわけなので、家族も撮られている意識もないし。

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「ベジタブル・ウェポン」では、アラーキー(荒木経惟)のように、被写体にたくさん声をかけて撮影することがあります。モデルさんがいる場合は現場を盛り上げなくてはいけないと思うし、……自分も含めてね。子どもを撮るときは、アラーキーのようにはならない(笑)。自然に撮影します。よっぽど機嫌が悪くないと、子どもは写真を嫌がることもないし。反対に「撮って、撮って」とうるさいくらい(笑)。だからなにも考えず、撮っていますね。ほかにも作品として発表しないような写真はたくさん撮るんです。自分のまなざしのトレーニングのようなものかもしれません。

親というのは子どもの写真は撮るもんなんですよ。生まれてから数年間は相当数撮るんじゃないですかね。小学校の運動会に行くと、親たちが望遠レンズをつけたすごいカメラで撮っている。ずらりと並んでいる。ええ? プロ? というような機材の人がいっぱい。親は人生の中で数年間、数千枚の写真を撮る時代がある。親はだれもが、数年間だけプロフェッショナルの写真家になるのかもしれないですね。だけど、子どもが大きくなるとあんまり撮らなくなるんだよなあ(笑)。

2011/11/25 取材・文 井上英樹/構成 MONKEYWORKS
写真 藤堂正寛/Webデザイン 高木二郎

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