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「わたしもフォトシエになります」。
そんな一言をのこして去って行ったのが、彼女との最初の出会いでした。

デジタル全盛の時代にあって、写真をプリントしてのこしていくこと、アルバムで残していくことの大切さを伝えたいと、2009年から開催してきたイベント『ALBUM EXPO』。その2年目。全国の写真屋さん16店に、写真家が撮った共通のネガを順々にバトンリレーしてもらって、それぞれが焼いた最高のプリントから、お客さんの投票で1位を決めるという「フォトシエグランプリ」なる企画の結果発表の後の出来事でした。
フォトシエとは、よきプリンター(プリントを焼くプロ)さんのことです。プリンターと言うと、どうしてもインクジェット的な家庭用プリンターを想像してしまうので、もっと別の言葉はないかなあ? と思い生まれた言葉でした。それに、町の写真屋さんだって、技術者なんだってことを伝えたくて考えたその言葉やイベントが、まっすぐ胸に届いて、冒頭の言葉を放つにいたった一人の女の子のことが、僕はずっと気になっていました。
それから数年がたった今年の春、1枚の手紙が届きました。「夏に京都でお店をオープンします」。以来、僕はその日を今か今かと心待ちにしていました。そうして会いに行ったのが、今回の取材です。多分に個人的な思いもつまっていますが、このご時世に、写真屋に未来を感じ、新たなお店を立ち上げた一人の女性のことばに、ぜひ耳を傾けてみて欲しいと思います。

写真を生業とするまでに

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藤本:ついにオープンだね。おめでとう!

松井:ありがとうございます! 8月7日にオープンしたばかりで、まだ未完成な部分もあるんですけども(笑)。近所の方はまだ、通りすがりに「写真屋さんができたんだ」ってのぞいていかれる程度ですが、ありがたいことに、ツイッターとかブログを見てお店に来てくださるコアな写真好きの方たちが結構いて。

藤本:そうか〜ありがたいね。えつこちゃんは、この写真屋さんが大変な時代に、若くして新しく店を立ち上げたという、言わば、変わり者に見えると思うんだよね(笑)。

松井:ですよね(笑)。

藤本:もともと写真の勉強を?

松井:いえ、学生の頃は京都の芸術系専門学校で空間デザインを学んでいました。でも、デジカメで風景を撮るくらいですが、その頃から写真を撮ってましたね。もともと母方が、戦前の曾祖父の代から数年前まで、東京の御徒町で写真屋をやっていたんですよ。あと、父方の祖父も某カメラメーカーで働いていました。だから、いつも身近に写真っていう存在があったんです。

藤本:そのことは学生時代から認識してたの?

松井:いや、全くしてなかったんです。ただ、父方のいとこが祖父の影響を受けて、すごく写真にハマっていた時期があって、旅行で撮った写真をコンテストに出して賞をもらったことがあったんです。その頃、私は小学校高学年くらいで東京まで展示を観に行って、そのときに子どもながらに「カメラマンっていいな」って思ったりもしました。

藤本:写真をより意識するようになったのは?

松井:卒業して一度不動産関係の仕事に就いたんですけど3ヶ月しか続かなくて。そのときに、自分はいったい何を仕事にしたら一番楽しいと思えるのだろうって考えたんです。で、ちょうどその頃、トイカメラがブームで、コンパクトデジカメに飽きてきていたのもあって、トイカメラに足を突っ込んだら、ハマってしまって。そのときに、いとこが以前、DPE店で働いていたっていう話を聞いたんです。それで私もDPE店に勤めようかなって。だから、意外にもスタートはわりと軽い感じで始まったんですよ。

藤本:トイカメラで、初めてフィルムカメラに触れたってこと?

松井:そうですね。小学生のときは自由研究で写ルンですを使ったりしたことがありましたが、特にフィルムカメラなんだっていうことを意識せずでしたから。高校の修学旅行では、もうすでにコンパクトデジカメだったんで。

藤本:なるほど、そういう世代!

松井:それで、最初は最寄り駅の近くを自転車でぐるぐる回って求人の貼り紙を探したんですけど、見つからなくて。結局、求人情報誌で見つけた地域のチェーン店で働きはじめました。で、その後、東京のモノグラムさんとかポパイカメラさんの存在を雑誌とかで見かけまして、「こういう写真屋さんっていいな」という憧れを持つようになって。でも一方、当時の自分の仕事はデジカメ中心。それでも、働く以前よりもたくさん写真を撮るようになって、お客さんの気持ちがもっと分かるようになっていたので、とにかく、フィルムであれデジタルであれ、お客さんの写真を焼くという仕事にちゃんと取り組もうって。そういう気持ちで日々働いていました。




「写真屋」の未来

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藤本:その店には何年いたの?

松井:2年半です。日々ふつうに働いてましたが、それでもやっぱり、憧れに目を奪われてしまう……。そのうちに、「関西にもこういうお店があったらいいのに」って考えるようになったんです。で、ちょうどその頃に「写真のことば」(富士フイルムが発行していたフィルムカメラと銀塩写真の魅力を伝えるフリーペーパー。編集はRe:S)を目にして。今から思えばそれが大きかったんですよ。

藤本:そうなんだね。何の特集の号だった?

松井:「写真屋の未来」っていうトークイベントのレポートが掲載されていました。写真屋さんっていう業界が厳しいという事実、今までは全く意識してなかったんですけども、働いてみて初めて分かったんです。だけど、そのトークイベントの内容を読んだり、その冊子に掲載されているいろんな写真館の方の言葉を読んでいると、「ああ、写真屋さん、大丈夫だ」って思った。その言葉ひとつひとつに、私は未来を感じたんですよ。

藤本:なるほど。

松井:でも当時の私は一般家庭から注文を受けるデジカメプリントや35ミリフィルムの写真しか扱ったことがなかったから、まだまだ技術と経験が足りないっていう自覚があって。もしお店をやるとすれば、もっと知識がいるよなって。

藤本:じゃあ、その時点でお店を始めたいという気持ちに?

松井:そうですね。ちょうど芽生え出した頃です。そして、店を出すなら京都でっていう気持ちがありました。学校が京都だったのも大きいですけど、なにより関西で有名な写真屋さんって、大阪や神戸の方に集中しているんですよ。だから、こっちの方にもそういうお店があればいいのに……よし、私が自分でつくろう! と。それに旦那の実家が京都ってこともあったし。そうやって考え出すほどに、どんどん店をつくりたいと思うようになって。それで、知識の幅を広げるために、あと本気でやるならお金を貯めなければいけないっていうことで、ヨドバシカメラ梅田店のDPEをやっている会社に転職したんです。そこには、今年の3月まで働いていたので、2年いたことになります。

藤本:その頃だよね。再会というか、声をかけてくれたのは。

松井:はい。でしたね。「あ! 藤本さんが来た!」って思って、それで思い切って声をかけて。

藤本:その時、すごく嬉しかったのを覚えてる。「フォトシエになりたい」って言ってた子が、ちゃんとそのための下積みをしてる! って思って、ほんと頼もしかった。

松井:なので、藤本さんのご家族の写真とか、娘さんの写真とかたくさん、私がプリントしました。

藤本:ほんとに!? 嬉しいなあ〜。その頃、ヨドバシのプリントがNATURAの性質をきちんと出してくれるし、いいなあと思って出してたの。そうか〜えつこちゃんが焼いてくれてたのか。

松井:私も焼きながら嬉しいなあと思ってました。

藤本:まさにフォトシエだね。でも以前、働いていたDPE屋さんと、ヨドバシではまた全然違うよね。

松井:受注量が桁違いに増えたし、お客さんにこだわりのある人がたくさんいらっしゃって、いろんな注文に対応できるようになったので、自分自身の技術は確実に向上したと思います。私にとってはすごく必要で、本当に、大切な経験でした。

踏み出したスタート

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藤本:ついに店をつくろうと決めたのには、何かきっかけが?

松井:実は、主人が震災の翌年に南三陸へ1年くらいボランティアで行っていたんですね。向こうで要望されるものを設計して建築するっていうプロジェクトで。

藤本:お互いに離れて学びの時期だった。

夫の貴之さん。写真屋開業という挑戦を選んだ妻に、「彼女自身がやりたいっていうのだから、できない理由を探すより、続けていくために僕の方からも何かアプローチできひんかなと思って」。自らの建築分野での取り組みと連動させながら、この場を生かした企画を考えるなどサポートをしている。

松井:そうですね。で、今年の4月はじめに帰ってくることが決まったので、そろそろ結婚しようかという話になり、「じゃあ、店をつくろう!」って、決意したんです。

藤本:なるほど! 旦那さんが建築をやってるから、店の内装や、そこにかかる費用とか、そういうイメージが具体的に描けたからか。

松井:そうですね。やっぱりそこは大きいと思います。それですぐ物件探しにとりかかって、でもなかなか条件に合う場所がないんですね。あったとしても、どうしても予算を少し超えるか、敷地が狭いかで。そんなときに、主人の知り合いの自転車屋さんから「ええ物件あるよ」って、ここを紹介してもらって。

藤本:テンション上がりました?

松井:いや、それがもう、その頃の私はオープンに向けていっぱいいっぱいだったんですよ。だから、物件を見に来たときもテンションが上がる間もなく、いやに冷静で(笑)、「よし、ここはいいぞ」と。広さも十分だし、家賃も想定してたよりも安めだった。しかも以前インテリア会社だったのを居抜きで使えたので、様々な費用を抑えられたんです。

藤本:表の全面ガラス窓の感じがいいですよね。

松井:そうなんです。陽がいっぱい入って明るくて。日当りの良さは重視していたポイントでした。

藤本:どのあたりに手を加えたんですか?

松井:基本的には、もとを生かしているんですが、床を貼って、あと壁面と天井のペンキを塗りなおしたり、カウンターをつくりなおしたり。空間づくりは主人がプロなので、いろいろ設計して考えてくれて。その他にもいろんなご縁で、施工も友人たちが結構手伝ってくれたし、ホームページも友達がつくってくれたり。いろんな人に助けてもらいました

藤本:それぞれのスキルを生かして関わって。そういう周囲の協力体制を含めて、店を立ちあげるっていうことが夢物語ではなく、リアルに存在していたっていうことですね。

松井:ありがたいです。あと、以前このあたりに1軒、DPE屋さんがあったらしく、今はそこがなくなって困っている人がいるって聞いたので。うまくアピールしていけばもう一度、地元の方々を呼び込めるんじゃないかなって思っているんです。

藤本:必要なDPEの機械も全部揃えたわけですよね。

松井:そうです。そもそも自分で店を立ち上げるのであれば、今その仕事に関わっている人たちの話を聞こうと考えて、それで、東京のフォトカノンの社長さんに相談に行くと、いろいろ力になってくださったんです。他にも、大阪のモグカメラさんにも相談に行ったら、ちょうど「アルバムエキスポっていうイベントがあるから、絶対行ってみたらいいよ」って教えてくださって。

藤本:そうだったんですね。

松井:はい。そのおかげで、フォトシエグランプリを見せていただくことができて、藤本さんにもお会いできて、お話もできて。決意を新たに出来たんです。それでこうして店を開くことができて、しかも今、取材を受けているなんてウソみたいです。

藤本:いろんな人と繋がって、助けられて、今がある。それは、えつこちゃんが本当に行動しているからこそで、その姿勢と想いに魅せられて、みんないろいろ手を貸したくなるんだと思う。

松井:ありがとうございます。ひとりでは絶対にここまでたどり着けませんでした。




目指す、未来のかたち

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藤本:目指している写真屋さんの姿ってありますか?

松井:まだまだ始めたばかりで悩んでいるところなんですけど……。フィルムユーザー、私たち20代から40代の方で、写真を楽しみたいって思っている方に対して、ちゃんとした仕事をできる写真屋になりたいっていうのが、まずひとつ。あとはやっぱり近隣の方たち。近頃、写真を全然プリントしていないっていう方にこそ、その魅力や大切さをもっともっと伝えていかなくてはって思っているんです。フィルムじゃなくても、コンパクトデジカメでもスマートフォンでもいいんですよ。大事な写真、たった1枚だけでもいいので、とにかくプリントしてのこしてほしい。それを少しづつでも広めていきたい。驚くのが、初めて来られるお客さんで、「1枚からでもプリント注文できますか」って聞かれるんですね。もちろん、うちも、今まで勤めてきたお店でも何枚からでも頼んでもらえるんですが、そう尋ねられるほどに、プリントが遠い存在になってしまったんだなって実感させられます。

あと、ここは建築の仕事をする主人のアトリエスペースでもあるんですけど、主人とは、「ここを消費する場所じゃなくて、なにかが生産される場所にしたいよね」っていう話をしています。先日も、「町の人にとっての地蔵盆みたいな企画をやったらどうだろう」って話をしていて。自分の町内を撮影してもらって、その写真をここで展示したらどうかなって。町の人にとって、撮影することも、展示することも、それによって町を広報することも、一つひとつが意味深いことなんじゃないかと思うし、その展示を見た人にも何かが伝わって双方の連帯が生まれていくかもしれない。そうやって何かが生み出されていく空間にしたいねって。

藤本:日々の業務と、新しい企画と。うまく連携していけたらいいね。いよいよだ。ここからいろいろ始まりそうな気がする。

松井:将来的には、私が写真屋で、彼が建築の仕事をして、他にも八百屋とかいろんな仕事に携わる友達が有志で集まってビルを運営する、なにか集団みたいなものをつくれたらいいなって思っているんです。

藤本:えつこちゃんのことだから、きっと今、明確にそういう仲間が身近にいるからこそ言える言葉だよね。ここまでたどり着いたっていうことはとてもすごいことで、本当に、一つの才能だと思う。これから、大変なことも多いと思うけど、負けずにがんばって!

松井:はい! 実際に大変ですが(笑)、でも夢が一つ叶った気がしています。がんばります!


鴨川三条駅から歩いて15分ほど。鴨川にも近い場所です。ヒビのはす向かいにある「華芳」のラーメンは昔ながらの中華そばが旨し。こちらもご近所さんのニューオーモンはいくつかの飲食店が一つになって独特の趣。その中にある「こたろう」のたい焼きは、うぐいす餡が特に人気です。

京都市左京区仁王門通新高倉東入る正往寺町462-2 インペリアル岡崎108
TEL:075-751-0825
http://hibi-labo.jugem.jp/

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