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東北の土着の人々と文化がうつり込む写真集『東北』で第37回木村伊兵衛賞を受賞した田附勝さん。写真をはじめてからこれまで、自分を追い込み徐々に獲得していった被写体、そして写真そのものとの関係性。目に映る光景をまっすぐな衝動とともにフィルムへと焼き付ける田附さんの写真観に迫りました。
「写真」を模索する日々

ー 写真をはじめられた当初は何を撮っていたのですか?

一番はじめは、そのころから付き合っていた今の嫁を撮ってた。俺らの世代で写真っていうと荒木(経惟)さんみたいな、嫁とか彼女を撮るっていう、そういう時代。でもだんだん、俺そうじゃねえなって。もっと違うポートレートを撮りたいなって思って、街に出た。で、声かけて撮る。見ず知らずの人を写真に起こしてく作業が面白くて。

2年ほどスタジオで働いてたけど、その頃も、ずっとポートレートを撮ってた。で、スタジオ辞めてから、高橋恭司さんを手伝ったのね。恭司さんはポートレートも風景も、俺は絶対使わないだろうなって思ってた8×10(エイトバイテン。8インチ×10インチのフィルムで撮る大判カメラ)で撮る。その、空間というか恭司さんの立ち位置を見てて、写真を撮るって、向き合い方ってこういうことだなって。しっかり向き合わないとモノがうつんないんだって分かった。で、その後「フリーになります」と。それって写真家としての宣言じゃん。だから、そのときに自分は何を撮っていけばいいのか、半年くらいずっと悶々としてたわけ。

ー 何歳ぐらいのときですか?

23くらいかな。最初はカメラマンだけじゃ食えないから、トラックでコピー機を配送する助手のアルバイトをしていて、その運転手の人がデコトラ(ペイント塗装や電飾装備などを用いて外装を飾ったトラック)が大好きで。で、休憩でサービスエリアとかに行ったらいろんなデコトラが停まってるわけ。それで「おー!」って思って、じゃあ、ちょっとこういうの撮ってみようと。で、デコトラに乗ってる人も面白いだろうなって思って撮ったりするうちに、どんどんデコトラの世界に入っていった。

わきたつ欲求のままに東北へ

ー 写真集『東北』に収録されている写真は2006年頃から撮られていますよね。東北へはどういういきさつで?

スタジオにいた21の頃かな? 休み使って1週間くらい青森をまわったの。で、そんときから東北って面白そう、ぞわぞわするなっていう思いがあって、以来、ずっとうっすら気になってた。で、トラック撮ってるとき、例えば秋田でデコトラが集合するイベントがあったりすると、男鹿半島まで近いから「なまはげ見にいこう」って。で、なまはげって、観光客用の伝承館とか、演じてくれるとこあるじゃん? そこで見終わったときに、その地区の人に「俺、こういうの撮りたくて、演じてるのはどうでもいいから」って話しかけて。そしたら、その人も「もしほんとに来たかったら、電話してくれればいいよ」と。そういうふうにやってなんとなく嗅ぎ付けていったっていうかさ。あとはトラックの関係の知り合いで東北出身の人がいて、その人が「東北の人が猟をしてるから紹介してあげるよ」って。

基本俺はさ、「知りたい」っていう欲求の固まりでしかないから。デコトラを撮ってた期間は9年って長いけど、それは同時に写真家としての9年でもあって、どういうふうに撮んなきゃいけないか、どういうふうに人と向き合わなきゃいけないかってのを模索した9年で。で、2007年にデコトラの写真集『DECOTORA』が出るんだけど、そのあたりにデコトラはもうこれでいいかなって思って、そのとき、21の頃に青森で感じたぞわぞわ感をもっと知りたい、確かめたいって。それだけ。それで、2006年の7月21日に恐山の例大祭へ向かって。

ー はい。

でも、俺は別に例大祭で撮りたくねえから、それより直接イタコさんに会って話を聞きたかった。それで、恐山のある、むつ市の知り合いに頼んで例大祭が終わったあと、1時間ほど話を聞かせてもらって写真も撮らせてもらった。そういうことを繰り返しで、どんどんどんどん深くなっていくっていう。

ー 人を介して繋がっていく。

そうそう。基本俺はさ、外部の人間じゃん。だけど、よりいっそう近くで撮りたい。だから、例えばお祭りのときには始まる前に朝から行くの。で、村の人たちと話す。そうすると、どんどん客観的目線から、そこの村人と同じ目線、主観へ入っていく。例えば写真撮りたいからって、祭りの最中に「こっち見て下さい」とかも失礼な話だと思うわけ。彼らの行事で。撮る人の行事じゃないから。だから、彼らの営みのひとつとして同じ目線で、ちゃんと見たい。その繰り返しだよね。とにかく、観察者っぽくいたくない。究極言うと、町の写真館みたいな立ち位置で。

ー けして旅人として写真を撮っているわけではないんですね。

そう。じゃないってこと。

フィルムを殺める行為

ー どういうときにシャッターを切ろうと思われるんですか?

もともとあった自分の東北観っていうのが、撮りにいって現地の人と話をしてまた深まるわけじゃん。でも、それだけじゃだめで、自分の東北観に近い人、写真集にも寄稿してもらった赤坂憲雄先生の本に出会って、それも自分に備わる。で、いろいろ備わった状態で被写体に出会ったとしても、なお俺は自分の概念の中にある「東北」を撮ってもしょうがないと思うわけ。

ー それだと答え合わせのようになるから。

そう。なんかの裏切りがないと、写真になんないかなって。例えば、猟について行くとき、猟で行われてる感じってなんとなくわかるじゃん。でも写真集にも載せたこのシーン、解体したときに首を持つっていう行為が全くイメージになかったから、「おー!」ってなってシャッターを切ったわけ。彼らの生活の一部の中で自分の思ってもいないようなことがふつうにあるんだって。そういうのをいつも写真に起こしていく。

ー 写真はいつもはフィルムで撮られていますよね?

そう。ほんとはデジタルでもなんでもいいわけだよ。ただ、東北撮ってて最終的に思ったんだけど、フィルムってさ、撮ってないフィルムを、生フィルムっていうじゃん? その生のフィルムをカメラに装填する。で、シャッターを押して、光でその像を生のフィルムに焼き付ける。最終的に現像液で処理してネガができる。それってさ、猟とかもそうなんだけど、なんか、殺(あや)めてるっていう感じがするじゃん。だから、フィルムに対する覚悟がないとうつんなくねぇ? って。そこまでしてさ、殺してんだよ、フィルムを。そこで出来上がったネガをさ、ちゃんといただく。

ー 神事みたいですね。

ある意味そうだよね。儀式でもあるのね。でもそういうふうに思った方がさ、なんかもっと、うつったりすることがあるのかもしんないって。

ー シャッターを切ることで、その対象を写真にのこすっていう意識はありますか?

あー、それは別に興味ないよね。記録にするってことは。撮った写真は、ただ俺が見たいっていうもののひとつであって、その見た結果がのこる、のこっちゃってる、他人から見たら「のこる」っていうことになるんだけど。ただ俺はその前の、知りたい見たい撮りたい、までだから。

ー プリントしたいという欲求はあるんですか?

もちろん、プリントするよ。して、それは見せたい……いや、見たい、だな。まあ、写真集にしてるから、見せたいになってるんだけど(笑)。でもそれはさ「見ろ!」って感じじゃん。「見なよ! こうじゃん?」みたいな。のこすっていうのは他の人がやりゃいいじゃん。だってさ、のこそうっていうのはある意味、なんていうか横柄じゃん。特に俺ってさ別に東北出身でもないし、ゆかりもないのに、のこそうって、お前は何様だ? って。別に、悪い意味で言ってるわけでも、ひねくれて言ってるわけでもなくて。

写真にうつるものとは

ー たくさん撮られたなかで写真集『東北』にこうしてまとめられたわけですけど、写真を選ぶ基準はありましたか?

俺は、東北をこういうふうに撮ってきたっていうこと。写真って情報になっちゃだめだと思ってるから、なんか聞こえてきそうっていう、なにか感じないと選べない。でも、言葉にならないから写真を撮ってるっていうことだよ。想いとか匂いとか。

俺は震災が来るだろうと思って東北の写真を撮ってたわけじゃない。でも結果、3月11日から世の中変わったなって思う。で、俺は東北撮ってたから自分としての声明、表現を出さなきゃいけないと思って。震災地に行って、もちろん瓦礫になった場所とかも撮ってはいるけれど、俺はそれを発表するわけではない。これまで彼らと一緒にいて営みを見てきて写真を撮ってきてるから、だったら彼らの毎年行う鹿猟のなかから、震災後を見てみようと。それが今、石川県の金沢でやっている写真展「その血はまだ赤いのか」なんだよ。

ー なるほど。

俺は2008年から鹿猟に参加してるんだけど、猟をやる彼らにとっては子どもの頃からのことで、もっともっと遡れば鹿猟、鹿と人の関係みたいなことって、大昔からのものじゃん。でもさ2011年の3月11日があって、そこで一回分断されちゃうっていうか。彼らがさ、鹿を今まで通り殺めて食べるっていうことが今後なくなるかもしれない。そしたら、その集落の社会構造とかも変わってくるかもしれないから。それを撮りたいなと思って。それが、俺なりの震災後の写真のメッセージ。同じように森に行ってるんだけど、去年と何が違うのか、写真にうつるのかなって。


撮影 田附 勝 「その血はまだ赤いのか」より

俺は写真に力はあるんだろうと思ってずっとやってきたから。でも、例えば実際目に見える何かがうつったのかっていったら疑問に思う。もちろん、言葉が添えられれば、そういう風に見えちゃうじゃん。でも写真1枚で伝わるのかっていったら疑問……いやだけど、写真を今もやってて。だから、結局写真をやることっていうのは、ほんとうに向き合わないとだめだなっていうことはあるよね。そして、もしかしたら写真に限界はあるんだろうなってことは思うよね。

ー 限界があると今、思っておられると。

限界はあるよね。ただ、俺はずっとね言葉を排除しようって常に思ってきたけど、なんていうのかな、敗北宣言っていうわけじゃなくて、言葉にも重要性はあるんじゃないかなっていうのは、今思うよ。鹿の肉の写真があってさ、2011年11月19日って書いてあったときに「ああ、明らかに2010年とは違う写真か」って見るための言葉っていうのは、もしかしたら重要なのかもしれない。俺はずっとそういうのをクソだと思ってきて、言葉で表現して写真になるっていうことが、だめな行為だと思ってきたけど、それは違うのかもしれない。それでよりいっそう「写真」になるのかもしれない。

取材・文 高木さおりRe:S 撮影 鍵岡龍門

田附 勝
1974年富山県生まれ。1998年、フリーランスとして活動開始。同年、アート・トラックに出会い、9年間に渡り全国でトラックおよびドライバーの撮影を続け、2007年に写真集『DECOTORA』(リトルモア)を刊行。2011年に刊行した写真集『東北』(リトルモア)は、2006年から東北地方に通い、撮り続けたもの。現在もライフワークとして東北の地を訪れ、人と語らい、自然を敬いながら、シャッターを切り続けている。2012年、第37回(2011年度) 木村伊兵衛写真賞を受賞。
http://tatsukimasaru.com/
石川県金沢市「SLANT」にて個展「その血はまだ赤いのか」を開催中。4月26日まで。

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