浮遊写真の舞台裏。毎回、日常の中で出会う一期一会の場所で2〜300回跳び続けた末、ベストな1枚を選ぶ。「TOKYO FRONTLINE 2012」の会場では1m×1m50cmのオリジナルプリントを展示。6月には青幻舎より初めての写真集発売も控える。
ー 『本日の浮遊』シリーズについて教えて下さい。
『本日の浮遊』は、2011年元日から始まった企画で、自分自身が空中に浮かんでいる写真を1日1カット1年間継続して発表するというプロジェクトです。私は、子どもの頃から落ち着きがなくて「地に足がついた人間になりなさい」って言われてきたんですね。でも、大学を卒業しても、大学院を卒業してもそういう人間にはなれなかった。それで、そういう自分をコンプレックスに思ってきたんです。でも、地に足がついてない自分を『本日の浮遊』として作品にすることで、そんな自分を前向きに、プラスにとらえられるようになるかもしれない。そういう風になりたいと。そう思って始めました。
地球に生きている限り、数字で割り切れない微妙な事柄や、複雑な人間関係にとりかこまれて生きていて、毎日毎日、社会と個人の関係にストレスを感じているといっても過言じゃありません。こうしたストレスから逃れることは決してできない。それは、自分がこの地球の重力から決して自由になることができないのと同じだと思っていて。だから、重力から自由になる、それに逆らっていない、そこから解き放たれている状態を表現するのがおもしろいなって。
ー 世間の価値観とは別のところで生きる、ということを表現されているのでしょうか。
そうですね。それは、国も性別も関係なく共有できる想いなのだって、作品を発表してから気づきました。そういう風に感じているのは自分だけじゃなかったって。インターネットで発表しているから、いろんな国の人から反応をもらって。中国、インドとかアジア地域はもちろん、北欧から南米、アフリカ、オーストラリアまで。そういう人たちがみんな「今日一日頑張れるような気がする」っていうようなことを、表現は違えどみんな書いてくれていて。
ー 伝わっているんですね。
そう。面白いのが、みんなジャンプだと思っていないところで。やっぱりみんな浮遊だと、浮いてるって見るんですよね。
ー そもそもは、そういう想いの部分を出発点として、この撮り方に至ったんですか?
いえ、もともとそういう想いは持っていたんですが、ある日、仕事のパートナーであり、私の写真の師匠でもある、アーティストの原久路の写真を撮ろうとしたときに、彼がジャンプしたんですよ。たぶん、撮りにくくしようと思ったんだと思うんですけど(笑)、その瞬間にうまくシャッターが切れて、その写真がすごく面白かったんです。ジャンプっていうよりも、浮いているように見えて、そのとき、写真がその想いと結びついたんですね。その写真もブログにアップしているんですけど。
ー 林さんの作品は、ディティールがおもしろいですよね。
そうですね。このときは、このトイレットペーパーの感じと、ひまわりと靴下の色が可愛くって、ただそれを撮りたかったんですけども、ジャンプして浮いた瞬間をとらえることによって、その色のインパクトもさらに面白いものになって。ただ立った状態で撮ったらこうはならないなって。
ー そうですね。無重力の浮いた状態の中で、人の存在感とモノの存在感が等価になっているような。
全部が同じ地点にいるような感じがあっておもしろいですよね。これはデジカメの面白さですよね。その場で見て、「あ、うまく撮れてた」って。待てよ、ってすぐに気づける。で、想いと技術的な部分が結びついたことを経て、じゃあ、それを自分のことなので日記としてウェブでセルフポートレート日記として公開していこうって。ウェブって国境を超えるのがすごくおもしろいなと思っていて。アップしたものはアドレスさえ知っていれば、インターネットさえ繋がっていればどんな国の人でも見られるっていう面白さと、その感想をすぐにいただけるっていう面白さもあって。
ー 開始当初からずっとウェブでのみ掲載されていた作品を、2011年秋の「パリ・フォト」、今年はじめの「TOKYO FRONTLINE 2012」と、プリントして展示されるようになりました。
そうですね、今年の「TOKYO FRONTLINE 2012」では、やっぱりウェブで見るのとは違う、プリントだからこそ味わってもらえる感動を、と考えました。まずは、単純に大きく見せたいなっていうのがあって。ウェブはウェブでデータとして見る面白さはあるんですけど、プリントでは、隅々まで見れる面白さを出したいなと。で、どれにしようかなっていうのはすごく迷って。
ー なるほど。
大きくしたときに映えるもの、シンプルなものがいいなって思って、で、結局これにしたんですね。人混みの中での写真もいいなと思ったんですけど、初めて大きいサイズで展示する機会をいただいたので、一番浮遊がシンプルに見えるものっていう視点で選んだ結果がこの作品でした。
ー自分の作品をプリントしてみてどうでしたか?
分かってはいたんですけど、プリントにすることで空間をもっと自分で思い出すというか。ああ、このときここらへんにこういう花が咲いてたな、とか、こういう光だったなとか。あと、プリントしたことで自分自身でも初めて発見することが多くて、それはとてもおもしろかったです。観に来てくださった方々もプリントをけっこう端から端までくまなく観てくださって。この写真、実は後ろの壁にいっぱい落書きが書いてあるんですよ。そういう浮遊を取り囲む環境のリアリティが浮き出て来るので、よりいっそう浮遊の不思議さが際だつというか。
ー なるほど。
6月に発売する写真集を見てもそうなんですよね。あらためて表紙を見たときに、周りの人たちのリアルと浮遊の非リアルがせめぎ合う感じがすごく出ていて。
ー パソコン画面で見る以上にそう感じるのはなぜでしょう?
紙の上にあるっていうのはとても独特な世界なんですよね。画面だと全体をパッと受け取る感じですけど、プリントとか写真集とかモノになっていると、細部まで見たくなる。目にしたときに飛び込んで来る情報量が違う。で、逆にウェブの面白さっていうのは、日記として日々流れていく、そのパッと見たときのイメージを楽しむっていう、その面白さがあって。違う良さがありますよね。あと、紙って自分のペースで動作を伴いながら……めくる、とか。モノだからその先へ飛ぶも飛ばないも、自分の行動で決められる。それは、ウェブの画面をスクロールするのとはまた違います。
ただ、ウェブは日々一番上のコンテンツが更新されていく、常に動いているので、血が通ったものっていったらこちら。それを凍り付かせて自分の手にできる喜びがプリントや写真集、モノの方にはある。
ー そうですね。
また、これだけインターネットが身近になると、なかなか気づけないことですが、年配の方など、ウェブを見ない層が今も確実にいるんですね。そういう意味では紙にする大切さがあるなって。まだウェブのみでやっていた頃から「写真集で見たい」とか「どこに行けば展示を見られるのか」っていうメールをいっぱいいただいていたので、そういう方ってたくさんいらっしゃるんだって思って。それもありますね。自分がウェブ以外でもやってみたいなと思ったきっかけは。
ー 普段、『本日の浮遊』の写真以外でもプリントすることはありますか?
誰かに写真を差し上げたりするときにプリントすることはあります。ですが、デジタルになってからはデータでのやりとりが多いですよね。高校時代は写ルンですを使って友達を撮ったり、学校の写真を撮ったりして。生徒会役員だったんですが、年に1回作る会報に自分で撮った写真をプリントしてコラージュして使ったり。あと、大学生になってからも気に入ったフィルムカメラにNATURA1600とかいろんなフィルムを組み合わせて使ったりしていましたね。フィルムを使っていたころは写真屋さんで同時プリントをお願いして、頻繁にプリントしていました。
ー では今回、作品をプリントしたということで、久しぶりにモノに落とし込んだという。
そうですね。写真集を作ると決まったときも、まず最初に全部の作品をプリントしたんですが、紙の上に作品が載るっていうのはこういう感じなのか、と。手にとれるのがすごく新鮮で、あと、懐かしい感じがしましたね。ただ、フィルムを使っていたころはどううつっているのか、ほぼ分からない状態でプリントが仕上ってくるのに対して、今は画像で見ていてそれが紙で出て来るという違いがある。
ー 確かにそれは違います。
フィルムを使っていたころのドキドキは今思い出しても、よいと思いますね。でも、やっぱり紙として、手にとれて、ここにある、っていう安心感は同様でとても大きいものです。ウェブ上のものは、インターネットに繋げればもちろんいつだって見られますけども、はかない感じがしますよね。
ー 写ルンですを使っていた高校生の頃と今とで、写真と対峙する感覚において繋がっているようなところはありますか?
純粋に、シャッターボタンを押したらうつる、その楽しさっていうのは変わらないですよね。本当だったら消えてなくなってしまう、そういう瞬間だったりその人の今日の表情だったりを持って帰ることができる楽しさっていうのは同じですね。それは、デジタルでもフィルムでも。
浮遊の写真も、浮いているっていうことが中心にあるんですけど、今日のその光も、そこに居合わせた人たちも、もう二度とない……ですよね。一期一会の瞬間、それをのこしたいし、それが作品になるのが面白い。撮る日が明日だったらまた全く違うわけです。だから私の作品の中では、実際の祖母のお葬式で撮った写真だったり、一緒に暮らしてた猫が亡くなったときの写真だったりもあります。その時にしかないものを作品として、のこす。それが写真にできることですよね。他にも言葉で綴るとか、歌をうたうとか、いろいろあると思うんですけど、私の場合はそれが写真だったんです。
取材・文 高木さおり(Re:S)
1982年 埼玉県生まれ。2005年 立教大学文学部卒業。2007年 立教大学大学院コミュニティ福祉学研究科博士課程前期課程修了。2011年よりウェブサイト「よわよわカメラウーマン日記」にてセルフポートレート日記プロジェクト『本日の浮遊』の更新を続けている。6月下旬には初の写真集『本日の浮遊』(青幻舎)刊行。また、6月16日より「MEM」にて林ナツミ展 『本日の浮遊』を開催。16日には同所にて飯沢耕太郎氏を迎え写真集出版記念対談を開催。
http://yowayowacamera.com/